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内部監査の役割を考える(20180320) [6-雑感・いろいろ]

 実地監査に入るとき、監査対象の協力は欠かせません。


 予備調査で監査対象をいかに理解しても、実地監査で必要な帳票が開示されなかったり、ヒアリングの質問に誠実に答えてもらえなければ、満足な監査結果は得られません。


 着任2年目、初めて一人監査体制になった年。いろいろ考えた末に、監査計画をまとめ、個別監査計画や予備調査を行ったにもかかわらず、実地監査では満足のいく結果が出ませんでした。 特に、福祉事業部門では苦労しました。センターや店舗とは比べ物にならないくらい、難解でしたし、管理者の受け止め方も厳しいものでした。監査評価(監査後に監査対象からの評価を貰う)も散々なものでした。

 

 翌年、その理由が判りました。 福祉事業所は、監督行政による「実地指導」を受けます。市役所や県庁の福祉部や介護保険部の指導課による立ち入り調査です。 制度・実施要領に照らして、様々な書類を検証し、不備を洗い出して厳しく指導、是正報告を要求されるものです。言葉は悪いですが、重箱の隅をつついて、小さなミスをほじくり出すような指導ケースもあるようです。 もちろん、まともな実地指導の方が多いはずですが、それでも、管理者は出来るだけぼろを出さないよう、実地指導前日には深夜まで(?)指導準備を行っています。


 この「実地指導」と「内部監査」の違いが正しく理解されていなかった事から、同じように周到な準備をし、必要以外に口を開かない様な頑なな態度を取っていたようでした。指摘事項に関してもかなり抵抗する態度もありました。 これを知って、もしかしたら、センターや店舗でも同じように受け止めているかもしれないと思いました。外部の指導はほとんどないのですが、消防署や保健所の立ち入り調査と同様に思っていたのかもしれません。


 もちろん、内部監査でも、不備や誤謬を発見し、是正・改善要請は行います。その点では、行政による実地指導・立ち入り調査と同じに見えます。


 では、何が違うのか??


 その一つは、監査対象(現場)の「ためになる役に立つ」監査をするということです。

 

 業務時間を割いてもらう以上、監査を受ける側にプラスになる事を作る事が必要でしょう。


 例えば、福祉事業では、行政指導が数年単位で入ります。その時、単純なミスや不備を必要以上に指摘されないよう、内部監査が事前に点検し、是正・改善点を発見しておくことで、行政の評価は向上するはずです。実際、そういう事業所が何カ所か出てきましたし、その成果は、他の福祉事業所へも報告され、内部監査をしっかり受ける事が重要だという認識が広がりました。その結果、近年は、「問題点はないでしょうか?実地指導は大丈夫でしょうか?」そんな質問を受けるようにもなりました。


 また、センターでも、内部監査で施設管理の問題(消防設備の不備等)を指摘し是正したことで、消防署の立ち入り調査で高い評価を得たなどという事もありました。 内部監査の役割は組織を守る事です。それは、法令順守とか行政対応とか、そういう場面でははっきりとした成果が見られると思います。


 もう一つ、監査対象(現場)の「ためになる」監査の例を紹介します。


 宅配事業センターの監査で、供給品の返品処理に苦慮している点が問題としてあがりました。 統一的なルールが存在していない為に、センターごとばらばらに運用され、中には、職員が買い取り現金が金庫内にプールされているケースさえ見つかりました。これは、本来、マネジメントラインで解決すべき問題ですが、センター間で問題が共有されていなかったため、課題にされていませんでした。これを内部監査が指摘し、部門課題として、事業本部へ改善要請を行い、統一ルールが作られ、運用が始まりました。他にも、細かい業務プロセス上の矛盾や無駄を発見して、手順やルールの見直しを提案することで、業務改善につながった事例はいくつも生まれています。


 監査を通じ、現場が抱えている悩みを解決へ導くことができるという認識が広がる中で、センターの対応は大きく変わりました。そのうち、監査前のオープニングの場面で、センター長から悩みを相談したいとの申し出をうけるようになりました。


 内部監査基準では、「アシュアランスとアドバイザリー」機能を発揮して、組織の目標達成に貢献することが本質としています。 おそらく、経営者の視点で言えばそうなのでしょう。


 しかし、監査を受ける立場からはどうでしょう? 忙しい業務の時間を割いて、内部監査に対応する事は大きな負担です。しかし、それ自体は事業数値を伸ばしたり、大きな利益を生み出す作業ではありません。できれば、内部監査を受けたくない(そんな時間を割きたくない)というのが本音ではないでしょうか。


 だからこそ、「監査を受けてよかった。事業所の問題点が発見でき、解決する方法が見つかった」という実感が持てるような監査を組み立てていくことが重要だと考えます。


 しかし、内部監査は万能ではありません。

 発見した問題への解決策をすべて持っているわけではありません。だからこそ、ヒアリングの中で、問題について話し合う事。原因は何か、真因はどこにあるか、是正・改善するにはどうすれば良いか、一緒に考える姿勢こそ重要でしょう。現場にこそ有効な解決策はあるはずですから。


 それでも解決できない問題は、「内部統制上の不備(システム改善)」の課題として、代表理事へ報告し、組織的に検討・解決するよう提言すればよいと考えます。


 内部監査は、現場での是正・改善、システム上の是正・改善を通じて、組織を守る役割、経営に資する役割が果たせるものと考えています。

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内部監査 雑感(20180430) [6-雑感・いろいろ]

監査」とは何なのか、これは、内部監査に携わる方にとって極めて基本的な課題でしょう。

 

 川村眞一先生著「現代の実践的内部監査」の中では、以下の様に記述があります。

 

日本語の「監査」という用語は、監督検査、観察検査、監視検査、監察審査の略語であり、明治14年に制定された「会計検査院章程」第3条においてはじめて使用されたと言われている。

 

英語のAudit及びフランス語のauditionの語源は、ラテン語の注意深く聴くという意味の名詞auditusであり、ドイツ語のRevision及びスペイン語のrevisionの語源もラテン語の注意を払って再び視るという意味の名詞revisusである。

 

日本語の監査という用語は、何か疑いを持たれて、点検を受けるとの悪印象を監査客体に持たれがちであるが、西洋語の監査という用語は、相手の説明を注意して聴き、証拠を注意して視る、という意味を持っているので、自己の主張が正当であることを証明してくれるもの、として監査客体に理解され、積極的に受け入れられている。

 

 

私は以前、ある研修で、「監査」の言葉の意味を知りました。

川村先生の著書では「略語だった」とされていますが、その研修会では、一つ一つの漢字の意味を捉えて解説されたもので、川村先生よりも、何だかより納得できるものでしたので、紹介いたします。

 

まず、監査の「監」という文字。

 

これは、象形文字だそうで、「水を張った皿を上から人が腰を屈めて覗き込む姿」を現しているそうです。高い所から、皿全体を見つめ、水の様子を観察することから、「俯瞰して全体像をしっかり捉える(見る)こと」なのだそうです。

 

そして、監査の「査」の文字。

 

これは、積み上げられたもの(且)に、木(ものさし)を当てて、詳しく調べる様を表しているそうです。ものさしをもって大きさや量、品物の傷や品質を調べる事を示しており、「細部にまで目を凝らして視る」ことだそうです。

 

ですから、この二つの文字が組み合わされている事は、「俯瞰して見る事と細部まで視る事」の両方を行うことが「監査」であると考えられるわけです。いわゆる「鳥の目」と「虫の目」の両方を用いて、対象を視る事こそ、監査という事と考えることができます。

 

西洋では「注意深く聴く」(AUDIT)「再び視る」(REVISION)、東洋的には「鳥の目・虫の目で視る事」を示している点は大変興味深いと思います。

 

実際、監査では、現場視察や帳票点検といった「視る」作業と、ヒアリングという「聴く」作業の両方に注力しながら、監査の結果、全体を俯瞰した意見を「監査報告書」に残していくことになります。

 

目と耳を使い、対象をしっかりと捉える事。これが監査の基本だという事がはっきりしました。

 


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内部監査 雑感(20180504) [6-雑感・いろいろ]

これまで掲載した記事の中で、皆さんが最も閲覧されたが「内部監査の立ち位置」の記事でした。

といっても、100にも満たない数ではありますが、それでも、継続してお読みいただいていることに感謝いたします。

 

内部監査部門の組織内の位置づけに変化はありましたでしょうか?

 

以前にも書きましたが、私が着任当初、内部監査の位置づけはかなり低いものでした。ISO(品質・環境)が、別にISO内部監査事務局が置かれていた事もあり、いわゆる内部統制領域の監査については、組織内ではほとんど認識されていませんでした。ISO監査についても、外部審査を合格するために必要という価値観が強く、かなり形式的な運用となっていました。

 

全国の内部監査交流会で、他の生協の皆さんと意見交流していると、生協によってかなり違いがあることが判りました。交流会では、多分に「トップの意識・認識に差があること」が課題という声を聴きました。「トップが内部監査の役割や重要性を正しく認識していない」という愚痴めいた発言も多かったように思います。

もちろん、「トップの意識・認識」は大きな要素だと思います。組織の統治・統制に関する考え方は、組織風土であり、生協の歴史的経過にも大きく影響します。また、生活協同組合という組織の特殊性にも起因しているとも思います。

 

しかし、様々なプロセスを持つ組織体である以上、それが統合された状態で、適正に運用されることは重要です。組合員への最大の奉仕を行うために、効率よく合理的に業務を遂行し、永続的経営を実現する事が、理事()に求められる役割です。それを保証するために、法定監査として監事監査や会計監査が実施されます。

内部監査は、組織内部にあって、理事の手足となって組織内部を監査し、業務の合理性・有効性を保証し、経営改善に寄与する役割を果たします。

 

こうした、組織運営の基本、内部統制の基本について、トップは認識されているはずですが、実態としては不十分と感じる場面は少なくありません。

だからと言って、嘆いていても何の解決にもなりません。

 

私自身、着任当初、どうすれば良いか悩んでいました。だからこそ、近隣生協の同じ立場の皆さんと交流を強め、ヒントを得たいと努力しました。そんな中で、それぞれの生協の実践内容を知り、「使える」と思ったことを貪欲に試しました。

これまでご紹介してきた、内部監査のガイドライン(指針)では、そうした近隣生協の皆さんの実践を取り入れ、自ら試し、有効だと感じたものを整理したものです。決して独自に生み出したものではありません。

 

トップの意識改革についても、同様です。他の生協で、トップとどのような関係を構築しようとしているかは大変勉強になりました。報告の在り方やその後の課題解決へのプロセスについても、近隣生協の取り組みが大いに参考になりました。

 

そうして、日々実践を積み上げて行く中で、トップの意識も少しずつ変わっていきました。

私の上司である専務理事は、当初、内部統制事務局とMS事務局と内部監査の役割の違いについては正しく認識されていませんでした。それでも、毎月、監査報告書を提出し、報告会で示唆いただき、徐々に、内部監査の立ち位置や役割、そして有効性について理解を深めていただけました。

 

前の項目で掲載した「CSA監査」では、専務理事から「センター運営に不安があるから優先的に監査を行って貰いたい」との指示がありました。そして、運営改善に向けてアドバイス(アドバイザリ)を行うように要請されるまでになったのです。

 

着任当初の状況からは大きく変わったことを実感し、さらに有効な監査に努力したいと思うようになりました。

 

これまでブログ記事では、ある程度、理論的な整理を中心に進めてきました。おそらく、お読みいただいてこられた皆さまには退屈な、判り切った内容も多かったのではないかと思います。理由は明快です。内部監査は独立的立場にあり、公正・公平を基本に、客観的証拠に基づき、理論的な正当性をもって監査結果を報告する事が重要で、そこには、余計な感情を挟むことは好ましくないからです。しかし、取り組むのは人間です。上司の期待によって、力の発揮も違ってきます。成果を評価されれば、一層努力しようと頑張ります。理屈ではないところに原動力がある事もしばしばです。

 

このブログを通じ、厳しい立場に置かれている、生協内部監査の皆さんにとって、何かの支えになる事を願ってきました。先進生協では、内部監査室が設置され、数人体制が確保されている羨ましいところもあります。しかし、圧倒的多くの生協では、一人体制や監事会事務局などの兼務体制で取り組まれているところが多く、独立的な立場さえも確保できていないところが多いのが実情でしょう。そしてまた、内部監査であるが故、組織内でのコミュニケーションが取りづらく、孤独感を感じておられる方も多いと思います。

 

そのために、全国レベルや地域単位で、内部監査担当者交流会や研究会を旺盛に開催し、日ごろの監査活動の交流を行われることを呼びかけたいと思います。実践交流の中には数多くのヒントやエネルギーにつながる情報があります。

 

生協を退職した身分でおこがましいかもしれませんが、生協組織には、他の会社組織にない「協同・連帯」という素敵な力があります。その力を発揮して、内部監査の地位向上、役割向上を一歩ずつ進めていかれることを期待しています。

また、そうした交流会や研究会開催の際には、ぜひ、私にもお声を掛けていただけることをお願いいたします。生協の外部におりますが、だからこそ、より客観的に、より自由に、アドバイスさせていただけるものと考えております。


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内部監査 雑感(20180510) [6-雑感・いろいろ]

 221日から、生協内部監査について、ひとつの「指針」となるべく、記事を掲載してきました。

 お付き合いいただいた皆様にとっては、いかがだったでしょうか?

 何か、お役に立つことはあったでしょうか?

 

 退職して実質3ヶ月ほどが経過し、徐々に、生協職員だった記憶も薄れつつある中、それでも、内部監査について考える事ばかりです。おそらく、それは、もはや「体質」になっているのかもしれません。

 

 エピソードを一つ。

 

 先日、ある電気通信会社の契約変更手続きを行いました。フリーダイヤルで、オペレーターと1時間近くやり取りし、完了しました。それから数日経って、契約更改書面が送付されてきました。

 内容を確認すると、肝心な部分、契約コースの変更欄が、旧来コースの名称がそのまま記載されていました。明らかなミスです。そして、基本契約料なども旧来コースのまま記載されており、変更後かなり高額になるはずなのに、低料金のまま記載されているのです。

 すぐに、フリーダイヤルで連絡し、記載事項のミスを確認しました。

 その場では、受け付けたオペレーターは要領を得ず、結局、「後日、責任者から連絡を入れます」との返答となりました。

 そして、翌日、責任者からの電話連絡が入りました。

 手元にある契約更改書類を見ながら、今一度、説明を行ったのですが、どうも、責任者の手元には同様の書類がない様子で、こちらの言っている事を正しく理解できないようでした。

 結局、再確認して電話をしますとの事で、一旦保留となり、4時間後にまた電話がありました。

そこでようやく事態が判明したようで、お詫びと正しい契約書の再発行を行うとの結果となりました。ただ、その責任者は、幾度も「契約書発行システムのエラーですので、契約は正しくなっています」を繰り返しており、「システムエラーの修正は親会社に要請するほかない」と言い訳じみたことを言っているのが気になりました。

 ちょっと長くなりましたが、何が言いたいかというと、通信会社としての業務管理のシステムへ大いに不信感を持ったという事です。

 

 ヒューマンエラーは避けられない事です。しかし、その防止策として、発行する「契約更改書類」について点検する体制が取られていない問題が指摘されます。ISOで言えば「リリース前の点検」という項目にあたりますが、契約書は顧客との極めて重要な書類です。これに誤りがあれば、重大な事業損失につながりかねません。まず、この点が指摘事項でしょう。

 

 そして、その後の顧客対応におけるミスです。

 顧客からの苦情に対して「責任者が対応」という点は評価できますが、苦情に関する事実確認は充分に行われておらず、結果的に「苦情を軽く見ている」と受け止められても仕方ない状態にしている事です。いわゆる2次クレーム発生の状態です。苦情処理に関する業務プロセスが整備されていないのではないかと考えられます。

 

 それと、契約書発行のシステムエラーへの対処の問題です。

 この会社は、かなり大手通信会社で、おそらく、営業部門やオペレーター(顧客対応)部門は、委託か子会社化しているのではないかと思います。システム本体は親会社が構築し、委託先や営業部門などで運用していると思われますが、システムエラーを改善する手立てが構築できていないことは、深刻な問題です。

こうしたトラブルは親会社本体の信用問題につながるものであり、内部統制システムにおける「グループ管理体制」が問題と考えられるわけです。

 

実は、こうした遣り取りを、電話口で先方の「責任者」と1時間以上にわたって行ってしまいました。別に、相手を遣り込めるつもりはありませんし、決して「悪質なクレーマー」になるつもりもありませんが、「責任者」からは、受付時のヒューマンエラーの防止策の強化とクレーム対応における業務プロセスの見直しについて別途報告するとの返答を取り付けることになってしまい、電話を切ってから、かなり自己嫌悪に陥りました。

こんなふうに、日常生活においても、つい、内部監査的なものの見方をしてしまいがちで、自分でも、本当に、嫌になることがあります。

 

3月に、転居のため、生協脱退に付随して共済解約手続きについて、担当センターに妻が電話をしていましたが、まったく同じようなことが起きてしまったのです。

 

電話では、共済解約の連絡を行っていたのに、送付されてきた書類は、生協脱退書だけでした。

 

 再度電話すると、解約手続きは部署が違うから。共済部署から連絡を入れるとの事。それから、当日には連絡は入らず、翌日午後になってようやく連絡があり、解約書類を送付するとの事でした。ただ、解約手続書類が31日までに届かないと翌月分も引き落としになるとの事。こちらが最初に連絡したのは22日、共済部局から連絡が来たのは25日、書類が届いたのは29日でした。すぐに投函しないと届かないことになってしまいました。こんなことがあって良いのかと、妻は憤慨していました。

内部の連絡ミス、共済解約に関する案内不足(現場の理解ミス)等、プロセス管理上の問題が浮かんできます。前述の通信会社で起きている事に似た事象だと思いました。

余談ですが、妻は、「共済加入の時は親切すぎるくらいにいろいろと説明に来るし、書類作成の時も一つずつ丁寧な説明があったのに、解約となると結構冷たいのね。生協ってそんなところなの?」と嫌味を言われてしまいました。

共済目標達成のために営業努力で奮闘している現場を見ているだけに、妻の言葉は、心に突き刺さりました。契約件数やポイントといった目標達成に特化しすぎて、本来、「助け合い精神」を出発点にしてきた共済事業が、少して間違った方向へ向かっていないかと、考えてしまいました。


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時事問題から思う事(1)官僚の不正事件から [6-雑感・いろいろ]

 

文科省官僚の不正事件が相次いで報道されました。

「不正のトライアングル」が、霞が関辺りには渦巻いているのではと考えてしまいます。

生活協同組合においても、過去にはメディア報道された事件・事案はあるわけですから、自らの組織を見直す機会にすべきだと思います。

手法としては、①不正リスクの評価(リスクマネジメント)、②統制システムの評価(機会の抑制策の点検)③人事部による対策(動機の早期発見)④内部監査や監事による監視の強化を図ることだと思います。不正は、機会・動機・正当化の3要素が揃った時発生すると言われ、一つでも要素をなくせば防止できるとされています。

まずは、「機会」を作らないこと。「不正をやろうと思えばいつでもできる職場環境」を作らない事です。特に、多くの権限が集中する管理者層は、「不正の機会が高い」と考えられ、要注意です。システム改善(プロセス改善)で「牽制機能」「点検機能」を付加する対策が有効でしょう。

 

少し、分解して考えてみましょう。

不正のトライアングル理論では、「機会」「動機」「正当化」の3要素が揃った時に、発生するとされています。

不正のトライアングル.png

「動機」「正当化」は、個人の中に存在する意識・感情・理屈であり、これをコントロールするのは、なかなか難しいものです。

しかし、「機会」を抑制する事は、内部統制システムの強化によって十分に可能ですし、内部統制システムの充実において、もっと重要な視点だと考えられます。

 

では、どうするか?

「機会」とは、不正を起こせる状況・環境があるという事です。今回、報道されている官僚の不正(収賄)等は、強い権限を持つ立場にあり、その決定(決済)において牽制機能が働いていないという状況が考えられます。私たちの業務においても、大いに可能性はあります。

 

役員や部長以上の管理・経営層では、決裁権限も大きく、その決定において指摘(拒否)できる立場の人が限定的になっているはずです。中には、専決事項として結果報告の身というケースもあるのではないでしょうか。ここに不正の「機会」が存在しているわけです.もちろん、「機会」があったとしても。「動機」がなければ発生しません。だからこそ、役員や部長以上の経営層は、自らを律し隙を見せてはならないわけです。

私のいた生協では、こうした不正の機会を防止するために「決裁権限(職務基準)」と「稟議規定」が作られていました。対象は全ての役職員であり、職位によって決済金額が細かく定められたうえで、稟議・決裁の仕組み(役員であっても関連部署の承認を要する)が定められていました。

例えば、主任クラスであれば、決裁権限は1万円まで、課長で10万円、部長で50万円など金額基準が設けられていましたし、予算内か予算外か、緊急性があるかないかでも基準がありました。そして、全ての申請は、機関運営部で記録され、経理部と経営管理部に回議され、経理部や経営管理部長による承認が必要とされていました。

こうした、第3者による点検を細かく設定することで、怪しい決裁をけん制する事が可能となっていました。逆に言えば、その金額内であればフリーである事が欠陥でもありました。また、現金支払いが発生しない様な「電子伝票決裁」や「取引契約」など部分的には弱点もありました。しかし、職位の権限に一定の制限と牽制の仕組みを持たせることで「不正の機会低減」には、一定の効果が期待できました。

内部監査としては、こうした牽制機能が有効に機能しているかを監査することになります。よく、監査事例で「書類の押印不備があることを指摘し、押印するよう指導する」という稚拙な事例が出ますが、本質的には、牽制機能が有効かを「押印」という証憑をもって図っているわけですので、バカには出来ません。

問題は、押印不備に対して、真因追及しているかどうかです。点検印や承認印が抜けているというのは、牽制機能が働いていない(牽制すべきという認識が欠如している)ために、不正の機会を生み出しているという危機意識があるかどうかを問うべきなのです。上位者になればなるほど、そのミスは重大であり、不正による社会的信用失墜も大きくリスクマネジメント上でも重要なはずなのです。

単協レベルで考えると、大きな投資を要するような事業所開設や施設修繕と言った場合には、特別監査として、計画から契約・実施に至るプロセスを監査し、そこに、例えば、工事業者との不自然なつながりがないか、価格は適正なのか、合い見積もりは取られているかなどを厳しい目で点検することも効果的だと思います。

ただし、監査対象がどこまで可能かという問題もあります。事業本部や管財部などの管理部門では、業務監査や部門監査を通じて、申請・決裁や稟議等の保管書類を点検することで、不備事項の発見は可能でしょう。しかし、その上の役員(管掌役員)の決裁・承認に関しては、難しい問題があります。役員の暴走を止めるのが内部監査に求められる役割だとしても、常勤理事会や理事会で正式に決定されているかどうかの範疇でしか判らないわけです。常勤理事会や理事会が適切に運営されていることが前提になっており、それ以上の指摘は難しいはずです。しかし、現実的にはどうでしょうか?もちろん、役員を信頼することは必要でしょうが、仮に、そこに業者との特定のつながりがあったとして、どこまで詳らかに把握できるでしょう。他の役員が管掌分野に関して指摘や反対意見等が表明できる関係にあるでしょうか。いわゆるガバナンスのレベルに関する点について、内部監査はまだまだ力が及ばない現実があるはずです。こうした場合、問題を正確に把握し、監事報告を通じ、理事会や常勤理事会へ働きかけを行う事が必要になるでしょう。

今回の、「文科省高級官僚の不正事件」はまさに、このレベルの問題と言えるわけです。自らの組織において、同様の構図が生まれていないか、監査の立場として、組織状況を把握することが求められていると思います。


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時事問題から思う事(2)入試点数不正問題 [6-雑感・いろいろ]

東京医科大学における「女子学生や多浪受験生への入試点数操作による不正事件」。

 

予想通りの報告書内容だったように感じました。また、これに類似した「点数操作による合格調整」は他の大学でも行われているというコメントも数多く出ています。経営問題や、「需要と供給の関係」がこうした場面でも反映するのかと悲しくなってきます。

 

この問題が提起している事は数多くあるとは思いますが、「内部統制・内部監査」として留意しておきたいことを記してみたいと思います。

 

今回の踏査報告書では、前理事長や前学長による指示が指摘されています。報告書によれば「ヒアリングの中で臼井正彦前理事長は、女性は結婚出産で育児をし、その場合勤務時間も長くできないことを挙げ、女性は年齢を重ねると医師としてのアクティビティが下がるなどと話した」とされていました。そして、こうした点数調整が少なくとも2006年以降行われていた事が推認されるとしています。

 

憲法14条第1

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」

 

教育基本法4

「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」

 

 言うまでもなく、今回の件は、明らかな「女性差別」であり、法に違反するものであることは明確です。(その後、文科省や文部科学大臣から「募集要項に明記すれば」「目的が適切なら」との擁護ともとれる発言がありましたが・・)

 

 法律や社会規範への順守「コンプライアンス」意識はどこへ行ってしまったのか。

 

 大学や医学界における「誤った」価値観・基準ががん然と存在しているのだと考えます。これは、組織にとっての常識が社会の非常識であるという典型例ではないかと思うわけです。閉じられた組織ほど、こうした問題を抱えているはずです。

 

 メディアを賑わす会社・組織の不正や事件は、「社内・組織内では常識的であり、組織のためにあるべき姿だった」というのがほとんどではないでしょうか。大手自動車会社やゴム・鉄鋼会社のデータ改ざんや不正事件も、経営のため、組織のためとしてトップの指示だったり、「トップの意向を組んだ」結果だったりします。

 

 私は、「生協内部監査ガイドライン」の冒頭で、以下の様な文章を掲載しました。

 

大企業による不正や不祥事は後を絶たず、社会的信用の失墜から経営危機を迎える事例が数多く報道され、その都度、内部統制の整備や内部監査の役割が問われています。法令順守はもとより、社会規範へ遵守、公正で透明な経営等といった社会的要求はますます高まっています。生協といえども例外とは言い難く、内部統制の整備や内部監査の強化はますます重要になっています。

 

そして、内部監査の本質として、以下の様にまとめています。

 

生協における内部監査とは、「人間らしい暮らしの創造と持続可能な社会の実現」を目的とする生協組織の経営諸活動の遂行状況を、合法性・合理性の観点から、公正・独立の立場で評価し、客観的意見を述べ、助言や勧告を行うアシュアランス(保証)業務と、個別の経営諸活動のアドバイザリー(支援)業務である。

 

生活協同組合は、組合員への貢献が最大の目的です。

 

組織論的に言えば、「組合員」という閉じられた組織であって、そこには、当然、独特な価値観や基準・規範が存在するものです。「組合員のために」という基準・価値観が優先することで、社会規範や法令に違反するような判断がなされるリスクは当然存在しているはずです。

 

極端な例かもしれませんが・・・。

例えば、総代会で決定した予算(剰余金予算)を達成し、出資配当を確保するために、取引業者への執拗なリベート要求を行うというような事がないでしょうか?

供給予算を達成するために、著しい価格引き下げ(赤字販売)を行い、その補てんを業者側や事業連合へ要求するといったことはないでしょうか?

今ではあまり見られないとは思いますが、「長時間労働・サービス残業」が発生する根本部分で、「経営のため(人件費抑制)」という価値観が存在していませんか?

組織の目的に照らして、多少違法性を感じながら、やってしまうという事は「事の大小」に限らず、常に存在するリスクがあると考えられます。

 

内部監査人は、こうしたリスク認識を持ち、監査に当たる事が必要です。

私の経験では、本部よりも事業所・現場の方が、こうしたリスクが高いと感じています。おそらく「組合員への最大奉仕の原則」といった考えが、働き甲斐にもリンクし、真剣に取り組めば取り組むほどに、社会規範や法令との矛盾を強く感じているように思います。

だからこそ、現場監査で発見した「コンプライアンス違反」については、厳しく指摘すると同時に、現場の苦しみをトップへしっかりと報告し、組織を挙げて是正・改善に取り組むよう提言する事が重要だと思います。

 

東京医科大学の今回の事件に戻りますが、10年以上継続してきた「点数調整」の作業はおそらく、入試担当の部署の中では問題があると認識していた職員もいたはずです。もしかしたら、問題提起をしたり、内部通報したり、外部通報もあったかもしれません。しかし、経営トップ(理事長・学長)へ進言し、是正・改善を求める役割を担う人物がいなかったのだと考えます。あるいは、そういう気骨のある人物がスポイルされてしまうような風土が醸成されている(トップによる専横的な運営)のかもしれません。

 

私が生協を退職した理由も、実は、そういう辺りにあるのですが・・・・。


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NPOの経験から [6-雑感・いろいろ]

昨年9月から、地元のNPOをを手伝いしています。

初めは、かなり戸惑いがありました。生協で経験したことがどこまで生かせるかという不安と、NPOという組織体の在り様が見えない事、そこに集う人達の思いが強烈である事等、マネジメントとか統制とか、そういう次元では整理できないことが多く、無力さを痛感しました。

しかし、半年が経過する中で、幾つか判ったことがあります。それをこれからブログで紹介してみたいと思います。

始めは、「生協と地域の関係」です。

 

わたしのいるNPOは、地域の支え合いを再構築しようとして活動しています。たすけあい活動や介護保険事業、学童保育、障害者日中一時支援、子育てや女性問題の取り組み等、この地域にある、様々な問題にアプローチしています。

その中で、私自身は、「独居の高齢者の暮らし・生活援助」の取り組みを主に受け持って、「総合事業」のとりまとめをしています。

 

ある高齢の独居女性と面談した時の事。

「週に1回、生協があるから、それが楽しみで頑張っています。」とその女性は笑顔でお話されました。

そうです、この方のお宅は、生協のグループ配達の拠点になっていて、ご近所の方が週1回集まって来られるのです。

「生協のある前の日には、玄関や外回りを綺麗にしなくちゃいけないから、それに、その日はご近所さんが来られて、お茶会にもなるから、コーヒーや紅茶なんかも買っておかなくちゃいけないし、身綺麗にしておかなくちゃ・・だから、生協の日の前の日に、家事援助をお願いしたいの」とも言われました。

この方にとって、生協の配達は生き甲斐になっているのです。

 

こういうお話は、かなりいろんな場所で聞きました。地域の暮らしにとって生協の役割は、単に食品の配達ではないのです。

そのことを、当の生協の職員はどこまで知っているでしょうか?

個配全盛になっていて、テレビでも「コープ宅配、週1回だからちょうどいい!」というCMがたびたび流れていますが、個配・宅配では得られない社会的価値について、もう少し考えてもいいのではないでしょうか?

 

生協の外に出て、初めて、生協の価値について考えさせられています。


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NPOの経験から② [6-雑感・いろいろ]

地域の様々な会議や研修にも出席し、地域の支え合いや福祉、介護事業等を勉強しています。

先日、過疎化が進み、食料品店やコンビニが撤退した地域の会議に出席しました。

主題は、高齢になり外出が難しくなった方たちの支援はどうすればいいかということで、住民福祉協議会、住民ボランティア団体や福祉協議会、福祉法人、JA、コンビニ、量販店、ホテルなどの代表者が集まり、地域の中でどんな貢献ができるかを話し合いました。

この地域には公共交通機関が少なく、バス路線もいくつか廃止された経過もあり、とにかく、買い物に苦労されていました。

以前は、大通りにコンビニがあったのですが、閉店してしまい、苦労していると住民福祉協議会の方から報告があり、JAや量販店、コンビニの方から、宅配の充実を進めているとの発言もありました。ホテルの方からも送迎バスの運行や住民自ら運営しているタクシーの話など、創意工夫しながら、住民の足の確保と生活物資の確保、楽しみや社会参加に対する可能性の向上に知恵を出し合いました。

 

驚くことに、そんな中でも、生協宅配の話は全く出て来なかったのです。

もちろん、この地域で、生協の宅配トラックは何度も見かけていますし、テレビCMでも「1週間がちょうどいい」という関西地区の生協のアピールはされていて、多く方がご存じなのだろうと思います。

でも、この会議には、生協の職員の参加はありませんでした。主催した方にお聞きしましたが、出席できないとの返答だったようです。

住民福祉協議会の方も、御存じだったのですが、こういう場には生協は関係ないようなニュアンスの発言もいただきました。

 

生協に居た頃、仲間作り活動に邁進していた自分にとって、大変残念な思いをしました。

生協は、住民に一定の認知を得ているものだと認識していましたし、自分自身、そのために、毎日戸別訪問やポスティングを行い、少しでも生協の正しい姿を知ってもらいたいと頑張ってきましたから・・・。

でも、やはり、生協は組合員という閉じられた組織のイメージが強いようです。そして、生協はやはり裕福な層が入る組織というイメージも多いのでしょう。

 

過疎化していく地域の、高齢者世帯にとって、生協は関係のない組織に受け止められているようなのです。

 

私もここに転居してきて、もうじき1年になりますが、生協のチラシや訪問を受けた事はなく、ご近所の方は生協の宅配をされているようですが、まったく声もかからないという実態です。(この地域の生協の方が怠慢だとは思いたくありませんが・・一定の組織率を持ってしまった生協では良く起こりがちな・・ある種の思い上がり?ではないかとも感じます。)

 

組織の中にいると、地域に貢献しているつもりでいる事が多いのではと考えてしまいました。

 

事業拡大や組織合併で、県単位の生協が大半となる中、地域の小さい単位でどう役立てるかを見失っていないでしょうか?国や県との提携・連携は進めているのでしょうが、最も重要なのは、地域住民から指示される組織であることではないかと思います。

既定方針の中で粛々と業務をこなすだけでなく、業務外でもなんでも、地域との交流を行って、生協が外からどのようにみられているかを知ることも大事だと思いますが、いかがでしょうか?

 


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2年ぶりの投稿です。 [6-雑感・いろいろ]

滋賀県へ転居して、もうすぐ丸4年を迎えます。

当初は、何もせず、のんびりしていましたが、縁あって、助け合い活動をしているNPOの事務局で働き、2年で退職。現在は、障がい者相談支援センターで働いております。

内部監査業務とはかけ離れた世界に身を置いて、戸惑いの連続でした。

内部監査をしていた頃は、仕組みとか規約・規程、マニュアル、エビデンス、マネジメント等々、理屈(理論)こそが重要な世界で泳ぎ回っていたように感じます。
こちらに来て、NPOや福祉法人に身を置くと、そうしたものとは無縁のように思っておりましたが、実は、マネジメント理論や内部監査業務は極めて重要だと感じ始めています。
先日、職場で「リスクマネジメントの内部研修」がありました。
内部監査時代にも、リスクマネジメントは学んでおりましたし、監査にはなくてはならない重要な視点であることは明白でした。
リスクマネジメントを充実する事こそが内部監査の重要な役割であったからです。
職場の研修は、責任者がPPを使って、リスクマネジメントとは何かを短時間で説明し、最終的には「業務マニュアルの再徹底」を確認する内容でした。
「おい!」と、つい突っ込みを入れてしまいたい中身。新参者ながら、ひとこと言わせていただきました。
「業務マニュアル」は何故必要なのか、もう一度考えてみてもらいたい。マニュアル通りに業務を行う事はどういう意味があるのか、そして、マニュアルにないイレギュラーなことが起きた場合どうなるのか、などを提起させていただき、結論として、リスク回避のために必要な手順がマニュアルであることを理解してほしいと締めました。
今の事務所には、数多くのマニュアルがあります。電話対応マニュアルや、朝の作業(鍵開け)マニュアル、室内の掃除マニュアル・・本当に細かいものまで、回数や使用する備品、中には切手の貼り付け位置といったものまで作成されているのです。
でも、肝心の「事故対応マニュアル」とか今回のような「感染症対応マニュアル」はざっくりしていて、私から見ると有効性が損なわれているというほかないようなものになっています。

何故か。それは、マニュアルの作成方法に問題があるからです。細かく細部まで作られているマニュアルは、過去にトラブルやクレームがあった事象について、クレーム再発防止の観点で補強された経過をたどっているのです。ですから、まだ起きていない事故やクレームについては創造力が欠如していて整備できないわけです。
長くなりましたので、結論とします。
マニュアルはリスク回避(マネジメント)を有効にするために作成するものである。
だからこそ、業務プロセスにおいて、重大なリスク要因となるものを想像し、対策を講じる手順を纏める事。
もちろん、クレームやすでに起きた事故を教訓に手順(マニュアル)の充実を図る事は有効であるが、そこに囚われ過ぎないよう、リスク評価をしっかり行う必要があると考えます。
リスクマネジメントを基本に置いたマニュアル作成こそ有効です。

あわせて、リスクとは無縁と判断される「不要なマニュアル」は思い切って捨てる事も大事です。

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BCPについて考える [6-雑感・いろいろ]

先日、職場で「防災訓練」の研修がありました。

毎年、2回定例で開催される研修です。
今回の研修テーマは、「BCP(事業継続計画)」についてでした。

以前の職場(生協)でも、この手の研修は何度か行われ、実際、BCPについて具体的な計画策定プロセスについて、内部監査としても検証に携わっていました。
福祉分野での取り組みについては、殆んど門外漢であり、真面目に内容を学ぶ姿勢で受けました。


研修の冒頭は、厚労省が作成した「福祉分野におけるBCP」のVTR学習でした。その後、現在、私の勤務する事業所で整備されている「マニュアル」の検証を行いました。
現在、重要なポイントとなっているのが「感染症発生におけるBCP」で、コロナ感染が広がる中、どういう対応が求められるかを話し合い纏めました。当然、大規模災害におけるBCPについても話し合う時間はあり、緊急時の連絡リストの検証(安否確認リストの検証)を行いましたが、時間が足りず中途半端に終わってしまいました。

この研修中、私の頭の中にある疑問が浮かんでいました。

それは、該当事業所だけのBCPの議論に終始している事で良いのかということでした。

もちろん、ここの事業所でのBCPの話し合いは重要な事ですが、法人全体としてのBCPはどうなっているのか、全く把握できなかったのです。
私の働いている法人は、障がい者福祉に関する各種サービス事業を展開しています。
通所型の生活介護事業・就労継続支援B型、グループホーム、訪問サービス、地域活動支援事業、計画相談、そして私の働いている基幹相談事業など、多様な事業に取り組んでいます。
そして、それを支える職員は正規職員で100名弱、パートを含めても200人規模です。
仮に、大規模災害が発生した場合、それらすべての事業を継続する事は困難です。まずは職員が全て平常時と同様に出勤する事はできなくなります。人的資源だけでも確保は難しいでしょう。また、施設自体もどこまで使用可能かもわかりません。

滋賀県は海に面していませんから、東日本大震災のような「津波」被害はほぼ想定されていません。

一方で、北側の福井県には、原子力発電所が並んでいて、放射線による被害が想定され、緊急避難という事態が想定されています。
否応なく、事業継続は困難になるわけで、利用者(障がい者)の避難に関して最も重要なファクターとなるはずです。自身の避難と利用者の避難、だれがどう進めていくのかはかなり大きな役割という事になります。

こうした非常事態を想定した時、何を残し、何を捨てるか、どこに限られた資源を集中すべきか、そういうBCPの基本的なスタンスが明確になっていないと、それぞれの事業所が限られた職員の奮闘で維持することになり、総体的にはバラバラに動いてしまって、崩壊してしまうはずです。
原子力被害による避難は特別な事態と考え、オプションとして整備しておく必要がまずは必要でしょう。
それ以外の、大規模災害(豪雨による広範囲の水害・地震災害・強大な台風による甚大な被害等)や、コロナをはじめとする感染症発生の事態といったケースごとの想定ヲ行ったうえでBCPを考えてみたいと思います。

ここからは、私見ですが、まずは、グループホームの維持が最優先。そこは、人が暮らしている場所であり、中には、自立して暮らす事の出来ない人が暮らしています。命を繋ぐための事業として最重要拠点であるはずです。
更に言えば、通所型サービスでは、自宅(家族)で暮らしている方が多くを占めており、開所せずとも暮らしていける方が居られます。こうした、命の維持という視点で、継続(復旧)すべき事業の軽重を、まずは法人が示したうえで、人的・物的資源の集中を図る事が重要ではないかと思います。
そういうプランのもとで、タイムラインを設定し、通所の人的資源をグループホーム維持へ注力する形で整備し、法人全体のBCPを組み上げることが必要だと考えます。

そういう考えをベースにすると、私の勤務する事業所は何をすべきかがもっと明確になると思います。
私の勤務する事業所は、行政委託による「基幹相談センター」です。
日常的には、市内の事業所の協議体の運営も任されています。
その任務を考えると、大規模災害が発生した時、市内の事業所の状態(BCP運用状況)の把握や、人的物的資源を俯瞰して、市内事業者の協力支援が円滑に進むよう業務遂行する事が求められるのではないかと思います。
情報収集や支援体制の確立準備、中には、避難や移動に関する調整といった機能も求められるはずです。こうした事を想定して、日常的に何をしておくかをもっと深める必要があるように思いました。

残念ながら、厚労省のVTRでは、そうしたところまでは踏み込んでいませんでした。(そうしたことを期待していませんでしたが)

福祉に携わる職員は、命をもっとも重視し、そのために粉骨砕身される使命感の高い方が多いはずです。だからこそ、福祉法人経営者層は、適切な価値判断と確かな理論に基づいて、しっかりとした計画と指示を出せるよう努力していただきたいと思います。

ちょっと話がそれてしまいました。
極論を言えば、BCPとは、何を捨て何を生かすか、その基準は何かを組織の中で一致させておくことなのです。
大規模災害発生時には、指示系統が整わない状況も充分に想定されます。もちろん、そのために、あらかじめマニュアル整備をしておくことは重要ですが、もし、マニュアルに想定されていない様な事態が起きたとしても、法人としての基準・価値判断が明確になっていれば、充分に事業の継続は可能になるはずです。
そうした議論や研修を日常的にしっかり行っておくことこそ、重要だと考えます。

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事例検討会から [6-雑感・いろいろ]

本日、勤務している相談センターで、月1回の事例検討会がありました。
前回は私が事例を報告し、相談員で深堀していただき、支援の方向について検討しました。
こうした検討会では、「困難な事例」が用意されます。
詳細は、守秘義務もある為、掲載できませんが、「知的障害で、発達障害の疑いのある方」の事例でした。
基本的に、障がい者の人権を尊重し、本人の意思決定をベースにした、有効な支援策を考える事が目的の検討会ですから、答えに辿り着くことは相当難しいものです。今回の事例でも、これまで10年以上の支援を継続してきた方でしたから、様々なサービスの利用や支援をやりつくした感は否めませんでした。
私は、この世界に入って経験も浅く、ほかの相談員の知識と経験には及びません。じっと皆さんの話を聞いているところでした。
今回、なにをお伝えしたいかというと、「こういう閉ざされた世界で、同種の経験者が集まって、検討(会)をする事の有効性」についてです。
相談員の皆さんの意見を聞いているうちに、だんだん、違和感を覚えました。
今回の事例の方は、地域で様々なトラブルを引き起こし、福祉サービス事業所としても手を焼いていて、言わば、たらいまわし状態にあることが最大の問題でした。
本人の障がい特性を理解すると、トラブルの原因・要因は容易に想像できます。社会とのかかわりを持つ事でトラブルを生んでいて、本人の障がいを理解をしていない人にとっては、途轍もなく問題な存在です。

相談員は皆、社会とのかかわりを持つことが、人権の尊重であるとの認識で支援策をひねり出そうとします。しかし、それが本当に重要な事なのかと考えてしまいました。
支援者以外の「一般の人」には、その人の存在は、トラブルばかり起こす「迷惑な存在」でしかないはずです。(ちょっと言葉が荒っぽいのは赦してください)

ということは、「迷惑な存在だ」と思っている人と、無理にもかかわりを持つ事を志向する事になりはしないかと思ったわけです。
正解はないでしょう。
ただ、同じ職務でいる人が集まって行う事例検討会には限界があるのではないかと考えます。豊富な知識と経験で正しい道を見つけるプロであるとは思いますが、同じ思考方向が生み出す限界や危険性を十分に認識しておく必要があるように思います。
「ケース検討会」という会議が時折開催されます。特定の障がい者への支援者が集まって、支援策を検討する場ですが、それには、様々な立場の人が参加します。社会福祉士や保健師、看護師、行政職員等の専門的立場の人もいれば、地域の民生委員や懇意にしている方といった立場の方も参加されることがあります。
こうした会議では、様々な角度から問題を掘り下げることができ、公的サービスだけでなく、人のつながりをベースにした支援も結論として得ることがあります。

福祉の現場だけでなく、企業でも、多様な立場から参加した協議の場は有効性が高いのではないかと考えます。

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情報とスキルと経験 [6-雑感・いろいろ]

先日、会議に向かう途中、若い職員と車の中で雑談しました。
春に異動してきた、確かまだ4年目くらいの職員の男性職員です。
それまでは、通所施設で働いていて、今の「相談センター」へ異動し、ようやく2か月が経過したところです。

今、先輩職員の指導の下で研修を続けているのですが、そろそろ本格的な相談業務も受け持つようです。


彼がボソッと不満めいた事を言いました。

「相談に乗ると、いろんなサービスや制度に精通していないとうまく対応できない。でも、それをすべて頭に入れるのはできなくて、正しい対応ができるか不安です。」

当たり前のことを彼は悩んでいました。


長い経験を持つ相談員は、長い経験の中で得た知識をベースに仕事をしています。でも、時々、古い知識のままで大きな失敗をする事があります。

社会福祉士などの資格を持つからといって全ての福祉制度に精通しているわけでもありませんし、地域によって制度の運用もまちまちで、最新の情報を手にしておくことは誰にとっても重要な事でしょう。

私自身も、この1年、知らない事ばかりに日々でしたし、その都度、調べて対応するのが精一杯でした。しかし、事務所にある「紙ベース」の情報が古かったり、間違っていたりでかなり苦労しました。また、書いてあることと運用実態が異なることもしばしばでした。訊く人によって答えも違ったりしていました。
こういう世界で真面目に仕事をしようと思うと、随分、悩んでしまうと思います。


実際、今、彼は、所長からマンツーマンで時間を取って、いろんな制度や相談業務のノウハウを教わっていますが、横で見ていると、意欲的に取り組んでいるようには見えません。

教わる方と教える方で、思考の違いが明らかに感じられます。

書類を見せられて、口頭で説明され、「覚えなさい」と言われても、彼にはそのこと自体にどんな意味があるのか判らないように感じているのではないかと思うのです。


彼曰く。

「判らない事があった時、スマホでサクサクと検索できると良いんですけどね。」

そう、今の若い世代は、そういうところは長けています。ちょっとググってすぐ使う。いちいち覚える(記憶する)ことにどれほどの意味があるのかという思考なのです。

「分厚い書類を開いて丹念に調べる」のが当たり前の昭和世代には「そんなんで大丈夫」と言われそうですが、私みたいな、昭和なおっさんでも、仕事ではほとんどGoogleを頼りにしていますから、彼の言い分はよく判ります。

今の若い世代に重要なのは、情報量・知識量ではないんです。それはネットで調べれば手に入る時代だから、それ以上の「何か」に価値観を持っているように思います。


学校教育の現場でも変化は大きくなっているのではないでしょうか?

昭和世代のような「覚えること」中心の教育から「考えること」中心の教育へ変化しているように思います。

考えることは、発想力です。

今ある価値観や理論に縛られず、もっと新しく有効で未来志向な発想を身につける事が求められているのではないか・・


彼との会話でいろんなことを考えてしまいました。


経験で得たスキルや知識は、なかなか次の世代には渡せないものです。また、その経験には偏りがあり、知識・情報もどんどん古くなっていくものです。常にアップデートを繰り返さないといけません。

おそらく、アップデートできなくなった時、「老害」と呼ばれるのではないか。

我が身を振り返り「老害」になりつつあるのではと反省です。


ちょうど今、私は、この事業所のWebサイトを作成しています。

そのWebサイトは、事業所の紹介PRはもちろんのこと、基幹センター機能の一つである「協議会事務局」としてのハブ機能を高めるため、様々な情報のデータベースを構築しようと作業をしています。


できるだけ多くのデータ(知識・情報)を取り込み、可能な限り、アップデートし、彼のような若い世代が検索して現場で使えるような情報データベースを作ろうと思います。

私自身が「老害」と言われるようになる前に、出来上がったものを引き継げるよう頑張りたいと思います。

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助成金と自治会の関係について [6-雑感・いろいろ]

先日、地域の「見守りネットワーク会議」なるものへ、町内の組長という立場で参加しました。

自治会の「福祉推進委員」のかたから、今年度の取り組みの説明を受け、計画と予算について意見を述べるために召集されたのです。
「見守りネットワーク」は、地域の独居の高齢者や障がい者の方が孤立しないよう、地域で見守り、時には助け合いつながりを深めることが趣旨だと思うのですが、当該の福祉推進委員の方は、「社協から補助金が出るので、今年も昨年同様に取り組みましょう。自治会も、社協へは5万円の募金を出しているし、貰わない手はない。」との発言で始まりました。

私も曲りなりに、今は、障がい者支援センターに席を置き、この助成金の仕組みや目的について理解はしていますが、地域の自治会では、そういう助成金の趣旨がほとんど伝わらず、お金がもらえるのならやらない手はないというかなり寂しい活動になっているようです。

更に、「この取り組みは、助成金交付にある条件を満たす必要があり、サロンとカフェの回数の人数を何としても達成できるよう、自治会の役員の方にも参加してもらいたい」とも・・。

いやいや、これは、地域の中で孤立化しがちな独居の高齢者や障がい者が、地域の方達の見守りの絆を深めるためのものなのだから、日常的に活発に活動している人が集まるんじゃなくて、高齢独居の方や障害のある方をまず訪問して、カフェやサロンに誘っていく活動から取り組むべきなんじゃないのか?

実のところ、私の町内では、そういう方々は、自治会に入っておられず、回覧板は回らないので、サロンやカフェがあったとしても、知らないので参加されない構造になっています。

何のための助成金なのか、自治会役員の自己満足のためにやるような活動に助成するのはどうかやめてもらいたい。そのために、助け合い募金が使われているのは嘆かわしい限りです。

助成する団体も、もう少し、活動の組み立て方とか、目標設定とか、進め方とかのプロセスをしっかり見極めるべきなのではないでしょうか。

哀しい事に、こういう薄っぺらい活動の在り方を、理屈で指摘すると、自治会では「浮いた存在」になってしまいますし、議論とはならず、変人扱いされてしまいます。

今回は、じっと黙って時間が過ぎるのを待つ事にしました。

家に戻って、冷静に考えてみると、こうした中身のない名前だけの活動でも、おそらく、福祉計画とかでは、市内に〇〇箇所のサロン活動やカフェが開かれ、住民の見守り活動は進んでいる等と評価されてしまうのでしょう。

そんな事ならば、もっと、自由な発想で、絆を強めようと頑張っている若者たちや小さな集団への助成を広げるよう、社協辺りも動いてもらいたいものです。既得権益の様に自治会行事としているようなところは排除して、もっと有効に使われるようにならないものでしょうか?


詳しくはこちらをご覧ください。[→]https://www.takashima-shakyo.or.jp/mimamori/pdf/episod.pdf


ちなみに、この見守りネットワークの対象者となるのは、独居や夫婦だけの高齢者世帯が中心に据えられているらしいのですが、推進している自治会の役員自身が、すでに後期高齢者が大半という状況になっているので、まあ、それはそれでよい事なのかもしれませんが・・・。

ただ、それは自治会の見守りネットワークではなく、当事者による自助活動の範疇ではないでしょうか。


こんな批判的な事をアップすると、あちこちから叩かれるかもしれませんが・・でも、そういう根本的なところから正していかないと、この町は良くなっていかないように思えてならないのです。

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研修会から思う事(虐待事例検討会にて) [6-雑感・いろいろ]

先日、「虐待事例」に関する研修会がありました。
詳細は出せませんが、虐待事例をもとに様々な視点で、考えようというものです。
原因や背景、対策について意見を交わしました。
その中でふと、内部監査を行っていた頃、何か似たような議論をしたような気になりました。他の人の意見を聞きながら、デジャブのような感覚が頭から離れなくなっていました。

そこで、ふと思いだしたのです。

例えば、福祉事業の場面で「虐待」を話題にする時、それは、起きてはならない事件・犯罪という出発点にあるという事なんですね。ですから、大きく言えば、業務中の不祥事・不正に間違いないわけです。

「不正」と言えば、内部監査部門に居る人なら確実に、例のトライアングルを思い浮かべるでしょう。

「動機」・「機会」・「正当性」の3条件が揃った時、不正発生の確率が高くなる。

虐待事案も、極めてその構図に近いのです。(福祉現場では、虐待を語る時、6層の欲求という考え方をしているようです。虐待は最下層にある「生理的欲求」が生み出すという事らしい。・・)

施設内で、障がい者(高齢施設なら入所高齢者)に対して虐待をしている状況は、圧倒的に「1対1」という状況。監視の目が届かない環境にあると聞きました。

そう、虐待の「機会」を作ってしまっている。

そして、その場面を見ると、虐待を受ける相手は日常的に問題行動を起こしていて、職員の大きなストレスになっているケースです。そう、「動機」を産みやすい人が対象となってしまう。

更に、「しつけ」とか「教育」とか「防衛」とかの言葉で、虐待を正当化する環境にあるのです。
見事に3条件が揃っていて、虐待が生まれてもおかしくないと客観的に捉えることができるわけです。
だからこそ、組織は、職員教育に力を入れるわけですが、その内容はどうでしょうか?

以前、不正に関する記述をしたことがありますが、もちろん、不正の大半は個人が起こすものです。おのず、教育では倫理面に力を入れることになり、一人一人の自覚を促す内容になりがちです。でも、それは、結局、不正防止を個人にゆだねている事であり、根本的に再発防止とはなりえません。
では、どういう教育が良いのか。
まず、不正(虐待行為)の3条件が揃っていないか、職場の環境を丁寧にチェックする事。構成員自ら、日常業務の中で、虐待を生み出しやすい状況を洗い出し、それを回避する策を考えることが近道だと思います。
ここでもやはり、リスクマネジメントの考え方が重要です。発生リスクの大きいものから一つづつ潰していく。

例えば、1対1になりやすい環境(トイレ介助・深夜帯の介護)を無くす対策。

日頃から職員にとってストレスになりがちな利用者を洗い出し、重点的に介護・介助の方法を統一しマニュアル化し訓練する。

「しつけ」「教育」「指導」等正当化する言葉を使用しない。

そして、これらのことが適切に運用されているか、管理者およびリスクマネジャーが監視・点検し、改善策を作る(PDCAサイクル)という仕組みを構築する事・・など。

ざっと考えてみても、これだけのプロセスがあります。

残念ながら、今回、私の職場ではそこまでの話し合いにはなりませんでした。旧来通り、一人一人が感想や意見を出し合い、ホワイトボードに意見をまとめ、整理するところで終わっています。

本当に、組織内から虐待を排除したいと考えているなら、より効率的効果的な研修方法を、管理者の皆さんは真剣に考えるべきです。


最後にひとつ。

こうした虐待事案が生まれると、その職場は委縮し、モチベーションは低下し、介護の質の低下へ繋がります。
そして、当該職員は、厳しい目に晒され、いずれは、退職を余儀なくされます。

それが教育を十分に受けていない若い職員なら、将来にわたって、福祉職から遠ざかることになり、人材不足に繋がるのです。

それを生み出したのは、そこにいる職員ではありません。ましてや、利用者ではありません。
そうした不正を生み出す環境を作ってしまった組織であり、経営者・管理者なのです。

そういう自覚を持ち、マネジメントにもっと力を入れて行ってもらいたいものだと思います。

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デジタルなのにアナログ??? [6-雑感・いろいろ]

今の職場では、日々の業務を「日誌システム」を使って記録しています。

電話のやり取りやメール送信、会議の記録や支援内容など多岐にわたる業務を記録化しています。

月間1000件ほどの入力の実績があります。当事者支援の記録が、時系列で記録されていて活用しがいのあるデータベースになっています。行政への報告も自動集計され画面上では見やすくなっています。
しかし、残念なことに、これがかなり厄介な代物なのです。

開発は、ある会社に委託したのですが、結果的に、個人SEへ丸投げされてしまい、そのSEとは音信不通になり、不具合があっても修正すらできない状態なのです。

委託した会社はまだ存在していますが、無責任極まりない。

不具合の修正については追加料金が必要だと言い、しかしながら、結局、開発者がアクセスコードを秘匿したため、手が付けられない状態にもかかわらず、今もまだ堂々とシステム管理の委託を受け負っている有様です。


今日も、そのシステムを使って、行政委託事業の結果報告のデータを作成したのですが、収納されているデータを吐き出す事が容易でなく、結構時間が掛かりました。


具体的に言うと、ある特定の特性を持つ個人に関する情報を月度単位で数値化するだけなのですが、基データから抽出する方法が限定されていて、なおかつ、個人名が出力できない。結果、一人ずつ指定した期間の情報をエクセル表にコピーして、名前を後付けで入れ、さらに、そこに対応情報を追加する作業が発生するのです。
デジタルデータを一旦表に移して、1件ずつ検証しながら、追加情報を入力し、集計する作業という事なのですが、殆んど紙ベースのデータを写していくのと同じ労力が発生してしまいます。
個人名が出力されないのは、「個人情報保護のため」というのが件のシステム管理会社の言い訳なのですが、それなら、システムの中で集計作業ができるよう、管理画面を設定すべきです。そんなことも判らない管理会社ってそどうなんでしょう?高い顧問料を払っているのであれば、ほぼ犯罪です。
デジタル化しシステム化することは、業務の合理化効率化に貢献して初めて効果があるはずです。非効率な仕事を強いるシステムというのはもはや有害ではないでしょうか?


そんな事を組織の中で発言していたので、時には厳しい批判も受けましたが(パートの分際で噛みつくのはもちろん問題だとは判っています)、この度、ようやくシステム変更の許可が出ました。


今度導入するシステムは、こうした轍を踏まないよう、しっかり吟味します。
仕事は、事業所単位で特性があります。広い汎用性のあるシステムは馴染まないところも多々あるはずです。

だからこそ、使う人の目線でカスタマイズでき、制度変更などへも柔軟に対応できるようなシステム設計を求めたいと思います。


ちなみに、今、私たちの組織のシステム管理・情報管理の顧問は、「google大好き」な御方で、google活用は確かにネットワークの面では非常に優れていると思いますが、私たちの業務を知らないため、無用なネットワーク活用を推進しようとしたり、基礎さえも学んでいない職員に当然のごとく、googleの様々なシステムの押し付けたりするのです。

顧問なら、各事業所を回って、職員へ丁寧な教育・指導を行うべきですし、現場の仕事をもっと知るべきでしょう。そうした意思は微塵も感じられません・(まだ随分と若い人なのですが、余りにも視野が狭い)

カスタマーファーストという基本姿勢ができていないとしか思えません。

個人的には、そういう御方には早々に退場いただくべきだと考えています。


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「間違っている」を考える [6-雑感・いろいろ]

或る会議での話。

Aさん:「〇〇病院のSW〇〇さんのことですが、福祉の専門ではないのに、専門外の事にまで入り込んで、トラブルになることがあって、困るんですよ。」

Bさん:「〇〇事業所の代表△△さんと交流があるようで、△△さんも、領域外の事も引き受けてしまわれるので困ります。御二人とも、間違っていますよね。」

Aさん:「そうそう。でも、それを間違っていますと指摘すると、攻撃しているようで、言えないこともあるんで、どうしたらいいんでしょう。」


ちょっとわかりづらい話かもしれませんが、同じようなことを、現場で時々耳にします。

会議での発言者のAさんは、長年、福祉分野におられる方で、知識も豊富ですし行動力もある。Bさんは、精神保健分野のエキスパートです。

この会話を聞いている私は、ずぶの素人。福祉分野も医療分野も何の経験も知識も持っていません。

具体的に何が起きているのかは、その前後の会話にあるのですが、それを書くと、かなり特定されてしまうので割愛させていただきます。


簡単に言うと、AさんやBさんの「福祉部門や精神保健部門の立場」から見ると、〇〇さんや△△さんがやっているのが「間違っている」というのです。でも、〇〇さんや△△さんにもおそらく「自分たちの立場(基準)」で仕事をしているわけで、〇〇さんや△△さんに言わせれば、AさんやBさんの方こそ「間違っている」と言うかもしれません。


この会話で、考えたいポイントは「何が正しくて何が間違っているのか」ではなく、「正誤を決めるのは何か」ということです。


これは、内部監査に携わっていた時、常に考えていた事と共通します。

「検査」と「監査」の違いということと通じる部分があります。

検査も監査も、同じ「査」の文字を使っています。これは、物に物差しを当てて計測する動きを表した漢字です。

違うのは、『検』と『監』。

『検』という字は、もの(木)を複数の人が見て同じ意見になる(つじつまが合う)ように見るという姿を現しています。

ですから、『検査』は、一つの共通する基準をもとに、評価(合否・正否の判定)をする事を示します。

一方、『監査』の『監』の文字は、盆に入った水(皿)を上から覗き込んで見る(臣)姿を現していて、「手本に写して、注意深く見る」ということになります。

決して、合否や正否を判断することが目的ではなく、目の前にある事実がどういうものかを見極めるということが目的なのです。

ですから、内部監査を行っている時、間違っているかどうかではなく、どうしてそのようなことが起きているのかを考えることこそ重要だと考えていました。


蛇足ですが、「行政監査」という言葉があります。

福祉部門など、行政の認可事業や補助金、委託事業などを対象に、当局が定期的に行うものです。私も過去に何度か立ち会うことがありました。ただ、残念ながら、「行政監査」は『監査』とは程遠いことが判りました。今は、どうか判りませんが、ほんの2年ほど前の「行政監査」に立ち会った時、書類の印鑑とか日付とか、綴じ方とか細部についてかなり厳しい指摘をされました。目の前に置かれた書類の山を「点検」して、不備を発見して、鬼の首でも捕ったかのように声高に指摘するのです。そのくせ、事業目標への進捗状況とか、補助金の有効性(コストパフォーマンス)とか、マネジメントレベルとか、そういう業務内容には一切触れない内容だったのを記憶しています。さらに、その監査を行うのは、行政当局が専任した監査委員で、マネジメントの一つも知らないような人なのです。(これ以上書くとまた自分の立場が危うくなりますので止めておきます)


さて、最初の会話に戻ります。

AさんもBさんも、〇〇さんや△△さんを「間違っている」と断じています。

でも、それは、AさんやBさんが使っている「物差し」を当てて判断しているに過ぎないと言えます。

〇〇さんや△△さんは、その物差しを持っていないのですから、「間違っている」と言われても、理由が判りません。

おそらく、〇〇さんや△△さんは自分の物差しをもとに動いているわけですから。


では、どうすれば良いのか。

今、私がいるところは、障がいのある人を支援するため、相談を受ける窓口機能や、他部門と連携し調整して行く役割を負っています。

最も重要な「ものさし」は、障がいのある人・当事者自身ではないでしょうか?

当事者にとって最良の支援のために、なにができるか。

そのために、福祉や医療、教育など暮らしに必要な社会資源が有効に機能できるよう、調整し連携できる関係作りをしていく。


さきのAさんやBさんのように、「間違っている」という批判をしたところで、問題は一切解決しませんし、むしろ、連携や協働を阻害するだけではないでしょうか。

批判をする前に、なぜ、そうなのかを相手の立場に立って考えることが重要でしょう。(と言いつつ、私も、AさんやBさんを批判しているわけですから同じ穴の狢になってしまっていますね。反省)

互いが持っている「物差し」(専門的立場に基づく基準やルール)を互いに擦り合わせて、物差しの違いを明確にしたうえで、「当事者」を中心においた、互いが理解できる「物差し」を使って、それぞれの立場でできることを見つけるまで話し合う事が大事でしょう。

共通しているのは、目の前の「当事者」を支援したいという思いなのですから、きっと協働できるはずです。


余談ですが・・・


ウクライナ紛争は一層深刻な状況に陥っています。

領土を守るため、より強力な兵器供与のため、ヨーロッパ各国も動き始めています。

力と力の衝突がさらに激化していく方向に向かっています。

その他、世界各地に紛争の種は尽きません。

さらに、今、アメリカや中国、北朝鮮など、紛争ではなく、大戦になりかねない状況にあるという見方もできます。

そんな中で、日本は軍備増強へ舵を切りました。「国民の命を守る、国益を守る」と言いつつ、国民を一層危険な状態へ近づけているとしか思えない状態にあります。

おそらく、政府・高官の方々が持っている「ものさし」と、庶民がもっている「ものさし」は全く別物なのではないでしょうか。

今の政府は、どういう「ものさし」を使っているのでしょう。

ひょっとしたら、裏側に、「Made in U.S.A since1945」の文字が刻印されているのではないんでしょうかね。

 

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情報管理リスク・続編 [6-雑感・いろいろ]

以前に記事にした「業務管理用のデータベース不能」に関する続編です。


過去3年分の業務記録が全くアクセスできない状態に陥り、管理を依頼していたSEとも連絡不能、SEと契約していた会社も不誠実な対応、さらに、そこを紹介したIT顧問も、全く役に立たない状態と・・本当にトホホな状態でした。


そんな時、救世主が現れました。

SNSで繋がっていた(名前を出してもいいのかな?)「ちょっとニュース」を出しているrinmonさんが、「一度見てみましょう」と申し出てくださったのです。

幸運なことに、rinmonさんとは、今の仕事でも少し繋がりもあり、実のところ、藁をもすがる思いでお願いしました。

個人情報が詰まったデータベースですので、作業に入る前に「個人情報保護に関する覚書」も交わしてから、見ていただきました。

すると、僅かの間に、アクセス不能だったデータベースに入ることは可能と判断していただき、早速作業をお願いしました。

翌日には、CSVとSQLのデータを作成していただき入手する事ができました。

ざっと、3万件以上の情報が手元に・・。正直、涙が出る思いでした。

それから、ざっと6時間掛けて、データの構造を読み込み(幾つかのデータがリンクされた状態だったのですが、入手したのは生データですので、数値や記号が並んでいるだけなので再構築が必要)事業所内の職員が閲覧できるよう、Googleスプレッドシートに変換し、細部を仕上げることができました。

rinmonさん、本当にありがとうございました。救世主と言わずして何と言えよう!皆さんも、何か困ったことがあったら、rinmonさんに問い合わせてみてはいかがでしょう。


さて、ここからは、「情報管理のリスク」の本題です。

前回、リスクマネジメントの在り様について述べましたので、今回は、「情報管理の重要性」について考えてみたいと思います。

ビジネスでは、ひと時代前には「人・金・モノ」の3大要素でマネジメントを組み立て、PDCAで改善、一層の発展を図るという考え方が主流でした。

しかし、PC普及に伴い、「人・金・モノ」に加えて「情報・時間」という要素も加わりました。さらに、DX化が進む現在、情報は、ビッグデータとなり、AIが進化する事で、ビジネスモデルも大きく変わろうとしています。

そんなことをつらつら考えている中で、自分の仕事(障がい者相談支援センター)で、情報はどういうものか考えてみました。


今の業務で、「情報(データ)」はどういうものなのか。

データベースが見れなくなって、まず思ったのは、行政に提出する報告書が作成できないということでした。報告書(実績)は、委託事業である限り、極めて重要なものです。委託費に見合った仕事をしているかを証明する唯一の手掛かりだからです。「情報」は、事業の存続(経営)に直結する重要なエレメントであるわけです。


さらに、この数か月、現場で起きていた問題は、過去の記録が見れず、相談者からの信用が大きく損なわれた事でした。

相談者には担当が決められていますので、直近で相談している場合は、担当者の記憶とメモで対応可能でした。

しかし、障がい者の相談の現場では、かなり長いスパンで動きが生まれるケースが少なくありません。数年前に相談を受け、一定の支援ができたとしても、次第に次のニーズが生まれ、新たな支援が必要になるのです。こうした時、以前にどういう経緯だったのか、その時どう判断し、なにを支援したのか。これが具にわかることが、相談者の信頼にしっかり応える第一歩になるのです。


事業所の担当職員は、異動や退職で年単位で交代します。

長く居るからといって、職員の記憶を頼りにしていくことは極めて危険ですし、信頼を損ねるリスクも高くなります。

だからこそ、記録(データ)が必要なのです。それも、信頼できる情報が詰まったデータ。さらに、それが容易く見られる状態にあることが大事なのです。

数年前までの記録は、紙ベースで保存されています。

しかし、膨大な紙の束から、必要な情報を探し出すのは容易なことではありません。勿論、個人ごとにファイル管理はされていますが、記載項目が違ったり、手書きでとても読めない様なものも混ざっています。どこまでが正確なのか判断できないものも混在しています。

こうした、紙ベースの記録は、大切な「時間」を容易く奪っていきます。探し出すだけで労力を使い、読み込むにも苦労する。これはもはや、「情報」とは言えないのではないでしょうか?

DX化によって、より精度の高い正確な情報を入手し、しっかり、相談者に向き合う事に時間を費やす事こそ重要だと私は思います。

人を相手にするからこそ、DX化によって、有効な情報を手にしていくことが必要だと思います。


今回の事件で、そうしたことを思い知らされました。


ふと、私が社会人になった頃のことを思い出しました。今から40年前のことです。当時は、おもちゃの類にパソコンらしきものはありましたが、一般的ではありませんでした。仕事の記録は基本的に手書きでした。

プロジェクト等で、今は、パワーポイントを使ったり映像を使って魅力的に印象的にプレゼンすることは当然ですが、当時は、そんなものは普通の会社にはありません。とにかく、手書きが基本。だからこそ、要点をまとめたり、端的な言葉を使ったり、想像力を駆り立てるような表現のために、思考する時間こそが大事でした。一言一言に重みがありました。

今はそんなものは必要ありません。そこに使っていた時間をPCを使い、より合理的に進めれば良い。さらに付加価値の高い仕事に注力できる環境にあると思います。

だからこそ、情報(データ)は重要になります。

セキュリティと使い勝手を考えれば、「情報の入れ物」(データベース)はやはりしっかりしたものを用意すべきでした。

「安物買いの銭失い」という言葉がありますが、今回の事件の根本には、目先の出費を考え、安易に、開発をいい加減な会社と個人に依頼したことがあったのです。勿論、高価であれば良いというわけではありません。

ユーザーサイドに寄り添って開発と管理をしてくれて、いざという時、しっかりフォローしてくれる、そういう誠意と能力のある会社や個人を見極めることです。


それと、今回の件では、rinmonさんに大変お世話になりました。問題の解決のためには、広い視野で、力を貸していただける方を探すということも大事なことだという教訓を得ました。私自身も、ある程度、パソコンのスキルはあるほうだと思っていましたが、rinmonさんは別格でした。もっともっと勉強しなければと思います。ただ、それは、ユーザーサイドでいかにPCを業務に生かすかという視点で、頑張りたいと思っています。

 

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ちょっと短い失敗談をひとつ [6-雑感・いろいろ]

先日、rinmonさんに救出いただいたデータを使って、行政に提出する報告書を作成していた時の失敗談を・・本当に、年は取りたくないものです。
CSVデータをエクセルに変換し、整えた後、閲覧可能なレベルまで辿り着きました。署長に報告したところ、「前のデータベースが使えなくなった時、未提出だった11月分の報告書を作成して」と指示を受けました。
11月分の報告書というのは、業務の数値データとともに1ヶ月分の記録全てを書面にして提出するものです。ざっと900件あります。
エクセルデータになっているのですから、ワードを使って差し込み印刷すればできます。つい先日、上半期分(7000件ほど)はすんなりできていましたから、ほんの数分の作業のはずでした。

しかし・・うまくいかない。差し込み文書を作成し、11月分のエクセルデータを接続すると、一部しか読み込まない(表示されない)のです。
ああ、そうでした。256文字の縛りがあることを忘れていたのです。そこから、何度か、読み込み方法を切りかえてみましたが、結果はやはり同じ。
もしかしたら、エクセルデータに問題があるのではと、今度はエクセルを総点検。しかし、特段の問題は発見できず、終に、力尽き、一旦作業を止めることにしました。
何かが足りない・・きっと、初歩的な何か・・忘れていることはないか・・そんなことが頭の中に繰り返され、一晩、ゆっくり考えることにしました。

賢明な方なら、不具合の解決策はすぐに浮かんでくるはずです。

「データファイル形式の選択間違い!OLE DBデータベースファイルではなく、Microsoft Excelワークシート DDE(*xls)を選択。これだけ。1番上のになってると出力が255文字あたりで途切れますよ。」

もしかしたら、上記のような事じゃないの?と考えている方、実は、そうじゃないんですよ。時々、上記のような解説を見かけますが、ちょっと違うんです。

もちろん、今回、上記の方法も試してみました(浅はかにも)。でも解決されなかったんです。
一晩、寝ながら考えました。(本当に夢の中で、PCと格闘しているんですね)
そしたら、夢の中でハッと気づいたんです。

嘘みたいな話ですが、私はこういうことが良くあります。蛇足ながら、趣味で曲作りをしている時、どうしても気に入ったメロディが浮かんでこない時、寝ている時、急に新しいメロディが浮かんだり、気に入った言葉が見つかったりします。仕事に関してもこういうことで救われたことは数えきれないくらいあります。寝ている間に、もう一人に自分が考えてくれている、そういう感覚です。

話を本題に戻しますが、今回255文字辺りで切れてしまうことや、全くデータを認識できないところがあることから、ハッと気づいたのです。

ワードの差し込みの際、最初のデータをワードが読み込んだ時、それぞれのセルデータをそどういうものかを識別する機能があるのです。日付とか記号とか短い(256文字以下)テキストか、長文テキストか、そういう識別機能があることを忘れてしまっていたのです。

それが判れば話は早い。エクセルデータの一番上にあるデータで、長文になっている(256文字以上)セルに、長文をダミーで入れてやるのです。

問題はこれで解決しました。すべてのデータを何の問題もなく読み込み、900件のデータが綺麗にワード文書で印刷できました。

以前(5年以上前ですが)、全く同様の問題にぶち当たり、解決策を発見したはずなのにすっかり忘れてしまっていたのです。いやはや、年は取りたくないものです。
そして、眠っている間に施行を巡らせてくれたもう一人に自分に感謝です。


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失敗談②差し込み印刷で・・ [6-雑感・いろいろ]

些細なことですが、前述の「短い失敗談」の続きです。

大量のデータをワード文書に差し込み印刷をしようとして、前述の失敗談では、「セル内のデータ形式の認識」に関して述べさせてもらいました。こんな事は、どこのマニュアルを見ても出ていませんでした。


更にもう一つ。

差し込み印刷で、フィールドの挿入を終えて、「結果のプレビュー」[→]完了と差し込みへと手順を進めることになります。

完成文書は、表の中にデータを埋め込むもので、例えば、「区分・項目・名称・内容」の4つのマスの中にデータが差し込まれるものを想定します。

表の挿入で、4つの項目が入る枠を設定し、データフィールドを挿入し、結果のプレビューを押すと、1番目のデータが挿入されます。形が整っていれば、「完了と差し込み」で、「個々の文書の編集」へと移ります。

さて、ここで驚くことが起きます。

5つの枠を持った表に1つのデータが挿入され、1ページができます。

次のデータは2ページ・・500ほどのデータだと、500ページの文書になるわけです。

「失敗した!セクションの削除を忘れていた!」


そう気づいた時、はてと困りました。


セクションの削除ってどうだったっけ?

簡単に書けば、「あいまい検索機能を使って、(^b)の文字列を探して削除する」というのが正論のようです(ググってみるとほとんどそういう回答でした)。

そういう方法があるのかと思ってやろうとしましたが、「いや、違う。以前にこんな手順は取らなかった。もっと単純だったぞ。」と自分の記憶をもう一度掘り起こしてみたのです。


事実、以前に作成した差し込み文書のひな形は、そんなことをやらなくても、ちゃんと、ページが変わることなく、続きでデータが出ているのです。


差し込み印刷固有の何か・・なんだったか・・・。偶然出来たというのもちょっと・・必ず理由(作業手順)があるはずなんです。PC作業では、理由もなくそういうことは起きません。


今一度、差し込み印刷の最初の手順に戻ってみました。

「ああ!そうだった!」

セクションの区切りが最初から入る場合と入らない場合の違い・・思い出しました。賢明な皆さんなら判っておられるかもしれません。そうなんです。差し込み印刷の最初「差し込み印刷の開始」のところで開くダイアログ。ここで、「名簿」を選択するのでした。それ以外を選択(封筒やラベルを選ぶ人はあまりないと思いますが)すると、セクション区切りが入るのです。ここは、かならず「名簿」を選択しておきます。

そうすると、データが差し込まれた表がセクション無しで作成できます。

実はこれ、差し込み文書を完了した後にできる文書にも適用できます。

もし、失敗して、セクションで区切られて、1ページに1件が延々と続くような文書ができたら試してみてください。

前述の「あいまい検索」を使う方法より、実際、サクサクと作業に入れますよ。

もしかしたら、これって裏技なんでしょうか?

役に立ったよという方、もっと別の方法があるよという方があれば、教えていただけると幸いです。まだまだ、知らないことばかりです。


実務に携わっていると、こうした小さな発見や躓きというのは多々あります。それで大幅なタイムロスになることもあるし、これが嫌でPC嫌いになる人もおられるでしょう。

まあ、ちょっとしたゲーム攻略のつもりで取り組むと、楽しめるんじゃないでしょうか?

「仕事を愉しむ」・・ちょっと不謹慎な感じもしますが、目の前の業務に集中しているわけですから許されるんじゃないかと思います。

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おじいちゃんの知恵袋?? [6-雑感・いろいろ]

新しい業務記録システムが稼働を始めて3か月。まだまだ改良の余地は多く、日々、開発会社の方とやり取りしながら、改善を進めています。今回、システム導入をした会社の担当者は、とても丁寧です。今窓口になっているMさんは、SEとの橋渡し役らしく、かなりの専門知識もありながら、一方で役割分担はしっかりしているようで、こちらのニーズを丁寧に聞き取って下さり、きちんとSE側へつないでもらっています。多少無茶な内容もあるのですが、できないことはできないとはっきり言われるのがなんだか清々しくて信頼できる人物なのです。今年度中には、おそらく満足のいくものになっていくと信じています。

一方で、わが法人のIT顧問(いまだにしがみついているのが理解できない)にはさらにがっかりさせられました。

今回のシステム運用で、最近困っているのが、接続不良なのです。システム自体はクラウド上で運用しているため、接続が安定しないと仕事になりません。はじめは、システムエラーではないかと、先ほどのMさんとすったもんだしながら改善してきましたが、ついに、構内LANに問題はないかというところまで行きついてしまいました。以前のシステムを導入した際に関与していた、IT顧問にダメもとで相談したところ、「IPアドレスの問題で、自動設定になっていると不具合があるかもしれないので、固定にしたらどうか。」との回答を得ました。さすがに、これは私にも理解できます。過去、IPアドレスの固定によるトラブルが多かった中で、現在はほとんどが自動設定になっているはずなのです。

「おいあんた、何時代に生きているんだ?」と突っ込みを入れたくなる回答を得て、さらにがっかりさせられた次第です。

結局、接続不良の原因は、高速通信環境に対して、初期設定の通信が不一致を起こしていたためと分かり、9台あるPCの通信設定を調整して事なきを得た次第です。多分、若い方たちには何のことだかわからない領域かと思いますが、大昔(40年近く前)からPCに触っていたものにとっては意外と発見できることでもあるのです。

古いものが一概にダメなのではないのかもと思った一場面でした。適材適所とはよく言ったもので、私にはさっぱりわからない最近のアプリの世界ですが、こうしたハードに近い部分では、年配者のほうが苦労しただけ知っていることもあるのです。

ついにPCの世界にも「おじいちゃん・おばあちゃんの知恵袋」みたいな時代が来たのかもしれません。AIがすべて解決する時代を目前に、もうちょっと老体にも活躍できる時間はありそうです。


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