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能登半島地震とBCP① [7-マネジメント]

令和6年能登半島地震で被災された方々へ、こころよりお見舞い申し上げます。そして、皆様の安全と一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。


2024年1月1日16時10分、私は自宅にいて、スマホの緊急地震速報を聞き、慌てて屋外へ飛び出した。妻も動揺しながら屋外へ。駐車場の車が左右に大きく揺れている。見上げると電線と電柱が左右に揺さぶられていた。しばらく立ち上がることもできないほどの揺れが続いて、静かになってから、部屋に戻りNHKをつけた。能登半島を震源とした、最大震度7だった。私の住んでいるところは、震度4。

いや、あれで震度4だとすると、震度7なんてのは想像できないほど激しいものだったろうと改めて感じた。


お正月の特番もすべて、ニュースに変更され、絶えず「津波!危険!逃げて』と呼び掛けていた。被害の状況よりもまず人命優先。とにかく命を守るためにできることをという強い使命感を感じさせるアナウンスが続いていた。

新潟から福井までの沿岸地域には、多数の原子力発電所がある。稼働中に物は少ないとしても、あの東日本大震災の原発事故は他人事ではない。ニュースを見ながら、原発の事故だけは起きないでほしいと願っていた。

夜になり、徐々に能登地域の被害の状況が報道され始めたころ、不謹慎ながら、私の頭の中には、今、作成している「BCP」のことが浮かんできた。

そこから、考えたことを書いておきたいと思う。


初めに、BCPの前提となる「被害想定」のこと。

私の地域では、琵琶湖西岸断層帯を震源とする震度7強の地震被害を想定している。道路の寸断、インフラの破壊等、物的損傷を中心に、市の防災課がとりまとめたものだ。

だが、今回の能登半島地震の被害状況を見ると、想定が余りにも甘いのではないかと感じた。阪神淡路大震災や東日本大震災を見ても、地震発生直後には、被害状況が把握できていない。1日経ってからようやく身近な地域の被害の様子が見えてくる状態だ。これだけIT技術が進歩しても、実態を把握するのは難しい。

それまでの間は、どこでどういう被害が発生しているのか全く分からない状態にあると考える必要がある。

目の前の状況だけが頼りになるはず。市内の状況より、まずは、自分のいる場所がどうか。そして、その際には「最悪の状態」を想定すべきではないかと考えた。

事務所のある建物は、かろうじて倒壊は免れたものの、窓ガラスは破損し、棚などが倒れ、書類が散乱している状態。もちろん、電気・ガス・水道などのインフラは使用不能。通信手段も、有線電話は使用不能。携帯電話も通信状態は良くない(今回の能登地震でも携帯各社は繋がりにくい状態だった)。さらに、その復旧に関しては、見通しが立たない状態まで壊滅的な被害となっているに違いない。


そんな中で、何をすべきかを考えなければならない。


私の事業所は「相談支援センター」。直接、障がい者のケアをしているわけではないため、主な使命(ミッション)は、在宅の障がい者の安否確認である。計画相談事業所や通所事業所と繋がっていない方が対象になる。また、災害時の個別避難計画作成者(自力避難が困難・避難判断が困難な方や、医療的ケアを必要とされている方など)を対象とした安否確認や避難確認である。

当初の想定では、インターネット回線は使用可能であり、PCも充電分の使用は可能と設定されているため、対象者リストや手順などを確認できると考えていた。だが、それではおそらく機能しないかもしれない。「アナログ(紙ベース)」も予備として準備しておく必要がある。

スマホなどの電話回線が使用不能という場合、訪問などの手段で安否確認することも必要になる。こうした手順は、当初の被害想定いかんで大きく異なると思う。

また、私のいる「相談支援センター」は市の基幹センターとなっており、市内の障がい者福祉サービス関係者が加盟する協議会の事務局を担っている。

そのため、もう一つの使命(ミッション)として、市内の事業者間の連携支援がある。情報の収集と発信、支援の調整、関係機関(行政等)との調整といった機能も持たなければならない。それにつけても、通信手段の確保が極めて重要になる。現状では、その手立てを持ち合わせていない。

ただ、こうした状況の中でも、何らかの指針は必要なわけで、これからそれを整理していきたいと考えている。

おそらくその一つの突破口は、「ロードマップとタイムライン設定」ではないか。

発災から復旧・復興まで、いくつかのフェーズを設定し、そこに時間軸を入れておくこと。もちろん想定通りにはいかないことも多いとは思うが、拠り所にはなる。やみくもに動き回ることもあわてることもなくなる。それこそが、BCP作成の一番の効果ではないか。


今作成中のBCPには3つのフェーズを設定している。


第1フェーズは、発災から72時間。生存率が急激に下がると言われる時間を設定した。

さらにその中を3つに分け、①発災から30分(緊急避難・安全確保段階)②以降の24時間(安否確認作業(避難誘導も含む)③以降の72時間。(復旧準備作業)とした。


①発災から30分は、まず身の安全を確保すること、揺れが収まってから周囲の状況を把握し、職員の安否確認に徹する。そのうえで、BCP発動の判断ののちに、事務所が使用可能かどうか調査し判断する。今回、能登半島地震では、最初の大きな揺れ、さらに、大きな揺れがあったとの報道があった。

最初の揺れで、まずその場で頭を保護して身を守り、収まった段階で、すぐに屋外へ逃げることが肝要だろう。東日本大震災の際、私は名古屋にいたが、かなり大きな揺れを体験した。直感的に、机の下にもぐり、その後、非常階段を使って屋外に逃れた。

外に出るのはただ身を守るためだけではない。冷静になって、周囲の建物や電柱、道路などの様子を確認することができるからだ。同時に、自分のいる事務所の外観を確認し、破損状態を確認することができる。厳密な検査というわけにはいかないが、外観でひび割れとか傾きなどが確認されたら、安易に中に戻ることは止めるべきである。

建物の安全が目視で確認できたなら、事務所に戻って、飛散したものを片付けながら、次への準備を行う。

②発災から24時間後までは、優先ミッション遂行である。

私の事務所のミッションは、地域の障がい者の安否確認である。まず、通信手段を確保し、リストに基づいて安否確認をする。スマホなどの通話状況は絶望的かもしれない。有線電話が生きているなら活用する。最近の電話は電源を有するものが大半であるが、事務所には必ず1回線は停電時に使用できる電話があるはず。日ごろから、確認しておくことが必要だ。

利用者リストは、通常はPCデータで保管しているが、ネット回線が必要であり、不能ということもある。同じものを紙ベースで作成しておくことが日常の準備に求められる。また、安否確認の結果を記録する用紙も同様である。

同時に、基幹センターとして、市内の事業所・各所の状況把握を行う段階である。電話による安否確認作業と並行するため、制限の中で、行う必要がある。ここも一つ工夫が必要である。基幹センターから一方的に情報を得るだけでなく、圏域のサービス事業所から発信するというルール確認や運用訓練を平時に行っておくとよい。


③以降72時間。

安否確認が取れない対象者へ避難所訪問などによる確認作業と、復旧に向けて支援体制の準備作業となる。

ただ、能登半島地震の状況を見ると、果たして可能かどうか。通信手段も移動手段も失くしてしまった場合、何ができるか、再考する必要がある。


第2フェーズは、72時間以降1週間。避難生活の中における対応である。

私の事業所の専門職は、その期間に入ると、避難所の支援へ入ることになる。障がい者にとって、避難所にいることが極めて難しいケースもある。福祉避難所も人手が必要になる。人的支援へ回れる人員はそちらへ向かうと決めている。(基幹センターとして市内の状況を把握し連携支援を調整することも含む)


第3フェーズは、その後、事業回復まで。町の被害状況によっては、この期間が最も長くなるし、事業所として元に戻るかどうかも不明であるが、目標を設定することで次の動きが考えられるだろう。


今回、能登半島地震では、道路の破損や家屋倒壊、幹線道路の通行制限などで移動が極めて難しい状況が報道されている。こうした条件をどこまで加味して有効なプランにできるか。能登の推移を見守りながら、不謹慎だとは思うが、自らの事業所のBCPを検証していきたいと思っている。


ただ、私の住む湖西エリアは、原子力災害発生時の避難対象エリアになっているところがあり、大規模地震により福島原発のような事故が起これば、BCPなど役に立たない。万一の場合、避難情報が正しくキャッチできるか、不安は募る。

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能登半島地震とBCP② [7-マネジメント]

能登半島地震の全容がようやく把握され始め、緊急支援が始まった。

発災から1週間経っている段階。珠洲市や能登町、輪島市では、道路が寸断され孤立化が続いている地区が数多くある。海からの支援も進んでいるようだが、海岸が隆起して港が使えないという事態もある。こうした大きな被害は想定されていたとしても、救援活動はどこまで想定されていたのだろう。想定外のことが重なってこれ以上被害が拡大しないよう祈るばかりです。今後、私なりにできることを考えていきたいと思います。


さて、前回の続きです。

被害想定の甘さはBCPの有効性を欠くことはすでに述べました。

もう少し、細かい話をしていきたいと思います。


ある通所事業所の方に訊いた話では、大規模災害が発生したら、通所事業所は即時休止して、利用者は自宅へ一刻も早く帰す(送迎)という考え方で組み立てているそうです。

なるほど、だが、それで済む話なのでしょうか?

前述したように市内の被害状況を把握できるようになるのは、少なくとも24時間は必要なのではないか。

「即時自宅へ帰す」という行為はむしろ危険とは言えまいか。東日本大震災では、帰宅途中の幼稚園バスが津波に飲み込まれた痛ましい被害もあった。

琵琶湖では「大津波」はないとしても、液状化や家屋倒壊、橋梁落下などで安全に道路が走れる保証はない。まずは、周辺地域の状況把握に注力すべきではないか。

そのうえで、安全が確保できる状態であれば、ご家族に迎えに来てもらうという方向が正しいのではないかと考える。

、まずは、状況把握(安全確認)のための時間が必要になるし、その間、施設に留め置くことになるのではないか。もちろん、その事業所施設が安全を確保できている状況が前提であるが・・。

そして、一時的にでも留め置くことになるなら、その時間はどれほどに設定し、その間の生命維持に必要な物資(水と食料など)の備蓄も必要になるはずだ。一夜を明かす可能性だってある。

前述の施設では、自宅に戻すことになるから備蓄などはしないということだったが、それで本当に大丈夫なのかと改めて確認したい。


入所系事業所については、最大は、施設の安全性の確保になるはず。

新しい大規模施設であれば、ある程度の耐震性は持ち合わせているだろう。だが、一般住宅を改装しているところが多いグループホームには。築数十年というところもある。

こうしたところは、倒壊のリスクをどうとらえているのか。今回の能登地震の映像を見る限り、倒壊した建物は多く、倒壊を免れたとしても傾いたり亀裂が入ったり、瓦が落ちてしまったりと被害を受けている住宅がかなりある。

在宅居住が難しい方が入所しているグループホームが使えなくなった時、避難できる場所が確保できるのか。BCPの中ではこの点が一番悩ましいと言えるだろう。


さらに、職員についても考えさせられた。

就業時間中に災害が発生した場合を想定してBCPを作成しているところは多いはず。その場合、BCP対応体制に全員が入れるかどうかが問題になる。

私の職場では、正規職員は3名、あと6名はパート職員である。小学生のお子さんがいる方もあり、緊急時には学校への迎えが必須になると聞いている。

そのため、BCP対応体制では、最低必要人数を割り出しておく必要がある。それには、正規職員が当たることになるのだが、3名全員が在籍しているとは限らない。ごく少数でも対応できるようBCPにも工夫が必要になる。

今回の能登半島地震の報道でも、高齢者施設で職員が半数も集まっておらず、その日施設にいた職員で対応しており、さらに、施設内インフラが不能とあって通常以上に作業が多く疲弊している姿を見た。

そうした現実を目の当たりにして、BCP運用における人員体制・職員体制については再検討すべき重要なポイントになると考える。


また、職員みんなが帰宅困難になる可能性がある。

わが市は、国道(高架式)と湖岸道路の2本が主要幹線道路だが、それ以外の道路がほとんどない南北に長い地域でその間をいくつもの川が流れ、老朽化した橋も多い。おそらく、震度7クラスの地震になれば、ほとんどの道路が寸断され、公共交通機関も使用不能となり、孤立化するのは明白である。

復旧までの間、自宅へ戻れないということも十分に考えられる。職員の中には、市外から通っている者もいて、恐らくすぐに自宅には戻れないだろう。

そうした時、業務をこなしつつ、避難所へ行くということにもなる。避難所の多くは地域住民が最優先であり、我々のような事業所では、独自に避難生活を凄くことができる条件を作っておく必要がある。最低でも3日間は水と食料や毛布などが必要になるだろう。実は、こうしたことが、作成中のBCPには十分に盛り込まれていない。


何よりも厳しいと感じたのは、復旧・復興までの見通しが全く立たない状態が続くこと。

発災から1週間経った、能登地震被災地においては、救助活動が続いており、十分な物資が届いていない避難所も多く、避難所に入れないというところもあるようだ。電気もまだ回復できていないし、道路や水道の復旧にも多くの時間が掛かるだろう。

我が町の防災課が提示した被災想定では、電気の復旧は1週間で世帯9割回復となっている。水道は1か月必要とされている。だが、これは、これまでの過去の災害をモデルにした過ぎない。現に、能登半島地震では孤立集落への対応がまだまだ進んでいない。周辺の自治体も同様の状況にあれば、支援の手は足りない。より厳しく被害を想定し、その中でも、何とか生き延びる手立てを考え、その日に備えるほかない。


BCPは、想定に基づく仮説プランに過ぎない。

おそらく、完全に有効といえるものを作り上げるのは難しい。だからこそ、被害想定をできるだけ広げ、深刻に考える必要がある。

また、今回の能登地震は夕刻だった。地震がどういう時間帯で発生するかも計画に大きく影響するポイントである。

今、作成しているBCPは、昼間の就業時間を想定しただけである。

早朝、深夜、休日、夏季・冬季など様々な条件でシミュレーションし、少なくとも発災から72時間を想定した訓練(検証)を行っておくことも有効だろう。

そうした訓練(検証)を繰り返すことで、BCPの精度は高まっていくはずである。

そんなに手間をかけていられないと思う方もいらっしゃるだろう。


実は、私の事業所もBCPの検討・訓練は進んでいない。日常業務に忙殺され、なかなかそういう時間が作れないのが実情である。

だが、今回、能登半島地震をきっかけに、以前よりは自分事として考えられる下地はできているのではないか。

今だからこそ、BCPの作成と検証を進めていくことをお勧めする。

実は、私の事業所では、来週、そうした検討会を開催する予定だ。

今準備しているのは、二人一組になって、いくつかの場面を設定し、BCP並びに災害時対応マニュアルを見ながら、時間軸で何をすべきかを考えてもらうことにしている。そのうえで、不都合なことを発見し、改善提案をいただくことにしている。

その結果は、また、別の機会で報告させていただきたい。


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能登半島地震とBCP③ [7-マネジメント]

能登半島地震では、災害関連死が発生している。

長引く避難生活の中で、持病の悪化、衛生環境の悪化が進み、ストレスで体調不良を起こす人も少なくないだろう。支援の手も入り始めているが、甚大な被害を前に思うように進んでいないことへ、きっと現場で奮闘されている方々もご苦労されているに違いない。一日でも早く、日常が取り戻されることを祈るばかりだ。


本日、職場で「BCP検討」を行った。

前回は2か月ほど前。BCPとは何か、我々の使命(ミッション)は何か、自ら何ができるか、などを話し合った。被害想定をリアルにしていく工夫はしたものの、今一つ手ごたえがなく、大規模災害を自分事としてとらえられないことが大きな要因だと思ったのを覚えている。

今回は、タイムラインに沿って具体的なマニュアル内容について検証した。

当初は、様々な場面を設定して検討する予定だったが、時間が十分に取れないために、「会議中、職員全員が事務所にいる設定で、緊急地震速報が鳴った」という設定で始めた。(こういうことはまれなのでできれば違う設定にしたかったが、リアル感を高めるためにやむなし・・・。)

始めるまでは、ありきたりな発言になるのかと思いつつ進めていったが、能登半島地震の直後ということもあり、職員皆、かなりリアルに想定してくれた。


あの1月1日の自らの行動を振り返りつつ、スマホの緊急地震速報を聞いて、「思わず座り込んだ」とか、「テーブルの下に逃げ込んだ」とか、「家の外へ飛び出した」とか、リアルな発言を受けて、「まずは自分の命を守る行動」について話が始まった。


事務所の机にいる状態、まずは机の下へ身を隠すこと。

「いや、机の下に荷物があって入れない」とか「机の横にある棚の転倒防止が不十分なので机の下から出られなくなる」とか、「ヘルメットが必要」とか「2面の壁に広がる大きなガラス窓が飛散して足下が危ない」とか、「そもそも、この建物の耐震基準は大丈夫なのか」など、質問と意見が飛び交った。

これだけの意見だけでも、平時に準備すべきものが発見された。


次に、「BCP」と「災害時対応マニュアル」を見ながら検証。

「発災後30分のところで、身を守って揺れが収まったら速やかに建物外へ避難」という記述なのだが、「事務所内のスリッパは危険、日ごろから、スニーカーを履くようにしよう」「ヘルメットは机の下が良いのでは」などかなり細かい点まで指摘意見が出た。検証はかなりできたと言えよう。


ただ、その中でもやもやしていたのが、「余震への対応」だった。

今回の能登半島地震でも、東日本大震災の時も、大きな余震がしばらく続いた。

最初の地震の後の余震で、家屋の倒壊が進んだというケースもあった。そう思うと、一旦建物の外へ逃げたとして、緊急対応体制に入るための環境づくりのために、事務所内の安全確保と復旧は、どのタイミングで着手すればよいのか判らなかった。


私の事業所では、市内の情報収集や事業所間の連携支援のいわばハブ機能を果たすことになっている。それと同時に、相談者(障がい者)の安否確認が使命となっている。

それに着手するためには、事務所機能の復旧は欠かせない。せめて、PCや通信機器などを取り出す必要がある。だが、建物内に入れなかった場合、どうなるのか。今回の検討では結論を得ることはできなかった。


それとともに、何人の職員がこの場に残れるのかという問題も出た。

最少人数すら確保できないかもしれないという現実もわかった。

また、9名中、2名は市外から通勤している。おそらく帰宅困難者になる。

他の職員も自宅に戻れる可能性は低いだろう。そのための必需品はどう確保するのか。

建物内に「防災ロッカー」を設置することになってはいるが、建物が倒壊すれば、それは使えなくなる。

能登半島地震の現実が、あまりにリアルすぎて、答えに行き詰ってしまったのだ。


だからと言って、何も備えをしないというのは愚かである。

必要な装備をし、より安全な場所に備蓄品を保管し、場合によっては、業務車両に積んでおくという手もあるだろう。


30分ほどの検討を終えて、やるべきことが山ほど生まれた。

防災用品・生活備蓄品、事務所機能維持のための備品等々、平時に揃えておくことができるものを一覧化し、予算化し、順次買い揃えていくこと。

おそらく、今は、能登半島地震で被災された皆様へまず必要物資が届けられるべきなので、その推移を見ながら、入手していきたいと思う。


ネットで、防災用品を調べてみると、膨大な種類の商品が並んでいた。防災士監修という謳い文句で、セット品とされたものもある。だが、中身を見ると、過不足は免れない。大事なのは、自分たちに必要なものを吟味して購入すること。特に、消耗品の類は、期限も考えてローリングストックできるものを選ぶことだろう。


以前の職場(生協)で内部監査を行っていた時、定期的に「BCPの検証」を行っていた。本部がまとめた備品一覧を基に、事業所ごとの人数に合わせて入手し、防災ボックスに入れて保管しているので、その中身を点検するのも一つの監査項目だった。

実際の監査では、かなり多くの確率で、期限切れストックが見つかる。また、使用方法を理解できていないものもある。とても有効とは言えないような実態が散見された。

その都度指摘し、管理方法を明確にする改善提案も行った。

今回、私の事業所ではそうならないよう、管理方法【点検方法】まで定めておこうと思う。


今回の能登半島地震では、「衛生管理」が大きな問題になっている。トイレが使えないという問題だ。簡易トイレは必須なのだろう。備品の中に必ず入れておきたいものだ。震災の後に、感染症発生という2次災害を生み出さないようなところまで考えなければならない。

いろいろ考える事ばかりだ。


今回の能登半島地震の推移を見守りながら、BCPを検証することは有意義なことだと言える。より現実的に、可能な方策を真剣に考えることで、次の災害被害を少しでも小さくすることができればと願う。

皆さんのところでも、今こそ、BCPの作成と検証、災害時対応マニュアルの整備を行っていかれることをお勧めしたい。

 

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福祉現場の「虐待事案」をマネジメント視点で考える① [7-マネジメント]

先日、職場で「虐待に関する研修」がありました。

法人の虐待防止委員会で作成した「虐待場面シナリオ」をみんなで演じてみて、感想や気づいたことを出し合いました。

教義的ではなく、「気づき」を基本にし共有化するという手法は、なかなか興味深いものでした。それなりに演技力のある職員も多く、リアルでかなりのものでした。


ざっくり説明すると、こんなシナリオでした。

通所作業所での一場面。

登場人物は、4人。

新人の職員Aとある程度経験を積んだ職員Bのふたり。

そして、自閉症の利用者Cさん(強いこだわりがあり、いつもと違ったことがあると動けなくなる)と、感覚過敏の利用者Dさん(音や声に恐怖を感じパニックを起こす)。


経験のある職員はその場で全体を管理するポジションにあり、ある利用者が予定通りに動いてくれなくて、全体のスケジュールに影響が出そうになって、苛立ちが募り、強い口調で指示し、さらに、利用者に向かってひどい言葉を発するというシナリオ。


利用者に対して、厳しい言葉を投げつける「虐待」。そしてそれが周囲へ影響して他の利用者も傷つけるという構図。

現場経験者からは「あるある」だという感想も出ていました。

私も、演じながら徐々に苛立ちが高まっていって、場面の最後には思わず手を上げそうなところまで気持ちが高揚していました。

もちろん、「強い言葉=虐待」であり、決して許されることではなく、経験を積んだ職員の猛省を促すべきだと思います。

研修参加者からは、「焦らず落ち着いて、セルフコントロールすべきだった」とか「新人職員でもそういう行為を止めるべきだった」とかの感想が出されていました。

同感です。

「こういう行為は行なってはいけない」という認識を共有することが通常の「虐待防止研修」です。十分に研修の目的は達成されたと思います。

各自、それをきちんと理解し、虐待はしないという考えを身に着ける。重要なことです。


でも、それで、虐待がなくなるでしょうか?「やってはいけない」と理解していても「やってしまう」、だから虐待はなくならないのではないでしょうか?。


これをマネジメント理論で考えていくと、より実効性のある研修になります。

1つ目は、「マネジメントにおけるプロセス管理」からこの問題事象を捉えてみるということです。


仕事(業務)は、一つ一つの小さな作業プロセスが連続し積み重なって進んでいき、目標に達するものです。

問題が起きたとき、そのプロセスごとに点検し、問題を発見することで再発防止策が有効になっていきます。


今回の事例は、虐待に至るプロセスは3段階ありました。

①初めは全員に対して落ち着いて「作業へ移行する指示」をしました。

②予定通り動き始めたとき、ある利用者が突然動けなくなる。その時、そばにいた新人職員が「〇〇さんが動きません」と発言するのです。

③次は、その職員に向かって「代わって!」と指示し、「虐待」とされる、大きな声で「否定的な言葉」を投げつける。

③が虐待発生の場面です。

 

マネジメントのプロセス管理では、事故トラブル発生のプロセス全体を見て、特に、問題のプロセスの一つ前のプロセスに着目して、問題を分析します。


今回は②の「新人職員」の対応プロセス。

「○○さんが動きません!」と先輩職員に言葉を投げるプロセスです。

実は、これが、虐待のトリガーになりました。

経験ある職員から見れば、「利用者が動けない」というような事態は予測できたはずですし、そのときの対処も知っているのです。

しかし、新人は、目の前の「不都合な現象」を、単に報告するだけで何の対策もできない状態にあった。

「見ればわかる。だから、そんなときはどうするか考えろよ!」と思わず言いたくなる場面です。

この段階で、経験ある職員には、利用者に対する「苛立ち」ではなく、「新人職員への苛立ち」が生まれたはずです。そして、それが、次のプロセスで利用者へ向かってしまった。


虐待場面で起こる現象には、利用者本人への苛立ちやストレスだけではなく、別の苛立ちやストレスを利用者へ向けてしまうということも多いのです。

入所施設で起こる虐待事件で、「ストレスがたまっていた」という常套句で報道させるのがそれです。

「不満のはけ口を弱者に向ける」そして、知らず知らずのうちに他の人がそのトリガーを引いているということもあります。


今回のケースでは、着目すべきは、虐待発生の一つ前のプロセス、「新人職員がトリガーを引いた場面」。

新人職員はなぜ「動きません」という報告で終わってしまったのかということです。

想像できることは職場内に「新人は経験者の指示に従って動けばいい」という風土があったのではないかということです。

暗黙の了解として、「自分で判断せずに先輩に訊くこと」を訓練されていたのではないか。もし、新人に対して「自分で考えて動く事」を訓練していたら、新人職員は「動きません」とだけ報告することはなかったはずです。

ここが虐待のトリガーになっていると捉えると、虐待防止対策は、大きく変わってきます。

そういう視点で虐待事案を検証してみてください。

経験のある職員に対して「虐待」をしないように注意するだけでなく、そこへつながった新人職員の対応を見直し、どうすればよかったのかを考えることになります。

同様のことは、現場の様々な場面にあるのではないでしょうか?

福祉の現場では、パート職員が多く、正規職員が少ない傾向があります。また、新規採用された正規職員よりもはるかに経験豊富なパート職員が、実のところ、現場を回している。そういう実態をよく聞きます。

チームケアの理念で、皆が協働できているのならうまく回っているでしょうが、正規職員とパート職員の待遇差とか、責任とか、様々な条件が重なると、かなり歪な職場環境が生まれやすくなります。

表面的には、正規職員が管理しているように見えて、実は、経験豊富なパート職員がボスのごとく振る舞っていて、若い正規職員が無用なストレスを抱えてしまうなんてこともあるようです。

こうした職場では、ストレスをため込んで、何かのきっかけに「虐待」が生まれるということが十分に予想されます。

「虐待かな?」と感じたとき、じっくり職場環境を見てください。歪がどこかにあるはずです。そしてそれを管理職だけでなく、職場全体で解決すること。そういう風土を維持するマネジメントを作り上げていくことが、虐待の根本解決になると思います。

蛇足になりますが・・・ストレスが、他者へ向かうと「虐待」。中に抱え込んでしまうと「心の病気」に。自己防衛のために「休職」「離職」。深刻な事態になれば「自死」へとつながるでしょう。いずれにしても、個人の責任ではなく、不正常なマネジメントの結果と考えるべきです。

 

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福祉現場の「虐待事案」をマネジメント視点で考える② [7-マネジメント]

もう一つ別の視点で考えましょう。

「虐待」とは何か。

ここでは、福祉の現場で語られる「虐待の定義」を持ち出すつもりはありません。それは専門外です。

マネジメント理論から「虐待」をどうとらえるかということです。

支援・介護の現場で、「虐待」は、当事者の人権を否定する言動を取る事であり、本来あるべき姿・目指すべき目標・目的から大きくそれた事象です。言葉や暴力だけではなく、本人の意思を無視する行為全体です。

これは、大きな意味で「不正」だと言えるでしょう。

「虐待=不正」と捉えれば、以前、マネジメントの中で述べた「不正を生み出すトライアングル」の「動機・機会・正当化」の考え方が適用できます。


動機=ストレスや苛立ち

機会=制止する力が働かない状態(新人と二人)

正当化=「利用者のため」というワード


虐待防止対策の一つとして、トライアングルを成立させないマネジメントを行うことです。


①動機=前述した「トリガー」は、動機の一つにすぎません。

「ストレスや苛立ちの抑制」というのは、現場ではなかなかむつかしい課題です。ですが、チームケア(一人に大きな責任を負わせない・ストレスを生みやすい場面では交代しながら対応する等)で改善を図る事はできるはずです。

障がい者支援の場面では、その人の障がい特性をチーム全体で正しく共有することで、ストレスが誰か一人に偏らずに済むということもあります。

※「ストレス」という言葉は今や日常的に使用されるようになっていますが、ちょっと安易に使いすぎているように感じています。もちろん、それが原因で、様々な問題が発生しているのは事実なのですが、何か問題事象の「言い訳」のような側面を感じるのは私だけでしょうか?同様に「しんどい」という言葉もやたら聞くようになっています。この点については、別の機会に考えてみたいと思います。


②機会=ストレスを発散するようなチャンスを作らないということ。

1対1になるとか、密室にしないとか、とにかく、虐待に至るような場面を作らないということが重要です。介護の現場では、避けられない課題だと思います。トイレ介助とか、行動援護の場面、ホームヘルプや入所施設の深夜という場面。対人援助において、1対1という場面は数多く存在します。

それだけ、「機会」リスクは高いという前提でマネジメントすることが必要になります。

その一つは、”制止する力”を強める事。

ありきたりなことで言えば「監視カメラの設置」などがその一つです。

あるいは、管理者が絶えず職員の行動を監視するとか、相互牽制などがあるでしょう。

第3者によるチェック体制も有効でしょう。介護保険サービスにおける「ケアマネジャー」や障がいサービスにおける「計画相談・専門員」が、定期的にモニタリングすることもその一つです。

言い換えれは、「責任ある立場にいる人・管理する人・監視する人ほど、機会を作りやすく虐待を起こしやすい」という理解をしておくべきです。

管理職・管理者は肝に銘じるべきですね。

相互監視の目のない場面を作らない事。風通しのいい職場(上下や経験の有無に関係なく、相互に指摘しあえる関係)を作る事が対策になります。


③正当化=今回のシナリオでは、通所作業所で決まった時間に作業を始めないといけないというプレッシャー、工賃を上げなければという強い思い、厳しい言葉を投げつけてでも、利用者を動かして作業させることが「利用者のため」になるという誤った理屈が、経験ある職員に「正当性」を持たせてしまった。

そしてそれは、組織全体にあるのかもしれない。


まず、そういう考え方の組織風土や仕組みを改革すべきでしょう。(B型作業所の工賃の問題は制度設計上の大きな問題ですが・・)

「利用者のため」とはどういうことなのか、たえず、職場で考えていくことが必要です。

例えば、時間内に食事を終えなければならないから、無理やりスプーンを利用者の口にねじ込むとか、利用者の希望通りに入浴を行うために、裸にした利用者を浴室前に待たせておくとか、徘徊などの異常行動が強い人を鍵のかかる部屋に長時間入れておく(閉じ込め)とか、他害行為が見られる人を拘束する(緊急時対応を除く)とか、「利用者のため」と称して結果的に虐待に至るケースは多いようです。虐待のリスクは常に存在しているという認識で考えておくことが肝要です。

全てを「利用者のため」と捉えるような風土があるとすれば一掃する必要があります。

一人一人の利用者の権利と尊厳を守る事こそ、「利用者のため」であるはずです。それを無視した「利用者のための行為」は存在しないはずです。


動機と機会と正当化の3つの条件が揃わないようにマネジメントを行う。それこそが「虐待防止策」になるのです。

今回の研修から「施設管理者のマネジメント力が問われるケース」だということを改めて確認できました。

虐待が起こると、虐待行為を行った当事者はもちろん厳しく指導されます。

ここも一つ考えるポイントがあります。

例えば、当該事業所の管理者から「虐待の当事者」に対して厳しく指導するというのはどうでしょう。

事業所の組織風土や日常のマネジメントに問題があると虐待発生の「動機」や「機会」を作り出していることになります。そしてその責任は管理者自身にあるはずです。

そういう問題のある(マネジメント力のない)管理者から「虐待に対する厳しい指導」を受けても、さほど効果はありません。

こうした時は、第三者(利害関係のない)による事業所全体の指導・指摘が有効です。虐待防止委員会がその任を担うことになるでしょう。

いろいろ書きましたが、今回の虐待防止研修シナリオから、かなり多くのマネジメント課題を発見できました。

「虐待」発生は、組織全体のマネジメントの異常にあると考え、マネジメントの視点で、虐待防止対策を実施することができれば、組織は大きく変わると考えています。


蛇足になりますが、よく虐待防止のために「通報制度」というものが取り上げられます。

もちろん重要な機能であり、きちんと活用すべきです。

しかし、その機能も、組織全体が不正常なマネジメント状態にあれば効果はありません。管理者自らが虐待を行っていれば、通報されたとしても事業所内ではもみ消されるでしょう。第3者機関が関与するような、通報制度になっているかも問われます。

ある事業所の話ですが、「通報制度=投書箱」という形をとっていて、そこには鍵もかからないポストがあるだけだそうです。

ある利用者家族が、苦情(虐待を目撃した)を入れたのに何の対処もなかったと話されていました。その法人の施設長に確認したところ、そうした投書の報告はなかったということでしたが、その後、施設長が事実を再確認し、運用方法を大きく変更したと、後日聞きました。利用者やその家族の声がないがしろにされているということは、職員の内部通報はさらに意味をなしていないことであり、組織全体に虐待の温床(環境)があるということを示しているのではないかと危惧されます。

内部通報などの制度運用より前に、日々、その場その場で「危うい」と感じたとき、すぐに指摘すること(自浄作用)ができるような職員の関係作りにもっと注力する必要があると思います。そうすることで当然、通報制度の有効性も高まるはずです。

素直に人の指摘を受け入れることができること、間違った時すぐに誤りを認めることができる事、そういう職員づくりが大事になると思います。

そういう点では、虐待防止にはマネジメント力の向上こそ重要だと言えますね。

虐待研修を通じて、多くのことを考えてしまいました。

 

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「ストレス」について考える① [7-マネジメント]

前回、虐待について考える時、「動機」「機会」「正当性」の不正のトライアングルを当てはめて考察しました。

その中で、「虐待行為の動機にストレスがある」というところに、ちょっと安易さを感じましたので、少し考察してみたいと思います。

「ストレス」という言葉は今や日常的に使用されるようになっていますが、ちょっと安易に使いすぎているように感じています。

もちろん、それが原因で、様々な問題が発生しているのは事実なのですが、何か問題事象の「言い訳」のような側面を感じるのは私だけでしょうか?

メンタルヘルスを維持するうえで、ストレスチェックを行い、何が要因となっているかを把握し、解消する対策を持つという手法は重要だと思います。ですが、ストレスチェックと称して行っている項目(専門職の方が長年の研究の成果として生み出したようですので否定するつもりはありませんが)がどうにもしっくりこないのです。


そもそも「ストレス」とは何なのでしょう。

ネットで調べると、こんな表記がありました。


「ストレスとは、簡単に言うと、心身に過剰な負荷がかかってゆがみが生じること(NHK健康チャンネルから転載)」


「ストレスという用語は、もともと物理学の分野で使われていたもので、物体の外側からかけられた圧力によって歪みが生じた状態を言います。ストレスを風船にたとえてみると、風船を指で押さえる力をストレッサーと言い、ストレッサーによって風船が歪んだ状態をストレス反応と言います。医学や心理学の領域では、こころや体にかかる外部からの刺激をストレッサーと言い、ストレッサーに適応しようとして、こころや体に生じたさまざまな反応をストレス反応と言います。(厚労省・こころの耳サイトから転載)」


私の解釈では、「外部からの刺激や圧力によって心身にゆがんだ状態を作ってしまうこと」をストレスと呼ぶのが正しいのかと考えました。

ということは、もともとの心身は外部から刺激がなければ健全な状態にあるということになります。

皆さんが「ストレスが溜まってる」と口にするとき、自分の心身にゆがみが生じていると認識しているでしょうか?


私は、古いパソコンを使っているので、時々、思うようにパソコンが動いてくれない(たいていはやり方が違っているのだが)ことがあり、つい、「ああ、ストレスだ!」と口にします。でも、心身にゆがみが生じているなどと思ったことはありません。「苛立ち」程度なんですよね。新しいパソコンを買えば解消されるはずなんです。

自分が思うようなスケジュールや段取りで作業が進まない時や、期待していたことと結果が大きく違うとき、上司から同じようなことを何度も指摘される時、そんな時に「ストレスだ」と言いたくなります。

でも、趣味のギターを弾いていて、難しいフレーズに手こずってなかなか上手く弾けない時には、ストレスとは思いません。上手くできなくて当たり前ですし、何度も練習することできっと弾けるようになると自分の中で信じているからです。(たいてい、途中で投げ出してしまうというのが実のところですが)


私は精神医学や心理学の専門家ではありませんから、学術的に論じるつもりはありません。

あくまで、マネジメントの観点から「ストレス」の正体について考えていこうと思います。


人間は生きている以上、外部からの刺激は避けられません。常に外部刺激に囲まれて活動することが、生きる事だと思います。

ですから、物理学的な定義の「ストレス」は絶えず発生しているのです。

暑さや寒さもストレスになります。そのために、洋服や冷暖房という環境を作り、極度の刺激を抑制し、ストレス反応を小さくします。予測される場合には対策を打ちます。

問題は、心や体のストレス反応を的確にとらえ、どう対処するか、あるいは予測して抑制する方法を取る事だと思います。


これって、リスクマネジメントと似ていませんか?

自分の心身に発生するストレス(リスク)を予見し、リスクを受容・低減・転嫁するか選択し、そのための対策(コントロール)を講じること。

受容することは難しいとして、低減する方法や転嫁する方法なら見つかるのではないでしょうか?

低減や転嫁するためには、まず、ストレスを生み出す外的要因を特定すること。

具体的な事例で考えてみましょう。

前回のブログで扱った「虐待事案」で言えば、虐待に至った職員Aさんは、現場でのB職員の反応がトリガーになり、ストレス状態に陥っていました。B職員の行動はトリガーにすぎません。それまでに、「時間通りに進めなければならない」という外部からの圧力、その場の責任者であるという圧力、こうしたことがストレス状態を高めたわけです。ですから、このケースでは、「時間通り進めなくても良い」「責任者を交代する」といった対策が考えられます。その時にできないとしても、そういう環境を常に作っておくことがマネジメントとして有効でしょう。「チームケア」がその一つでしょうし、「時間通り進めなければ工賃が確保できない」という条件を変更する(作業の見直し)ということもマネジメントとして必要でしょう。そして、新人B職員への教育(自ら考えて対応できるスキルを身に着けさせること)も対策の一つになるでしょう。

こうしたことを、管理者(マネジメントの責任者)が考えることが求められます。


回りくどく述べてきましたが、虐待事案は、重大リスクの一つです。発生の頻度と影響度を評価すれば、かなりハイリスクになるはずです。

だから、統制活動が必要になります。

職員規則とか職場規定、倫理規定などで「虐待を発生させない決め事」を明確にすることは最低限必要なことですが、それでは、なかなかコントロールできないのが、虐待案件です。

前回述べたように、虐待は発生のトライアングルを作らないことが必要です。動機と機会と正当性の条件が揃わないようにする。

今回、ストレスについて考えたのは、虐待などの不正行為の「動機」の大きな要素となるものをどうするかという思考について述べたかったからです。


話を整理します。

ストレスは外部刺激に対する心身の反応であり、そしてそれが長期間にわたり続くことで、心身のひずみ「ダメージ」を生むことでした。

では、業務におけるストレスというのはどういうものでしょうか?

業務プロセスの進捗を妨げるような事象が頻繁に、あるいは長期にわたって存在することで、強いストレスを生むとは言えないでしょうか?

また、為すべき業務プロセスに対して、意欲やスキルが不足していて、順調に行えない状態が続くことも強いストレスになるでしょう。

あるいは、そういう状態に対して、適切な指導や援助が受けられなかったり、理不尽に否定されたりすることも大きなストレスになるでしょう。(ハラスメントが代表例)

そして、これらのストレス発生状態は、個々人皆違っているということも捉えておかねばなりません。

管理者(マネジメント責任者)には、業務プロセスで発生する「ストレス要因」について認識すると同時に、部下となる職員一人一人のストレス状態を的確に把握することが求められると思います。

経営層は、現場や部門で、管理者がそう言うマネジメントができているかを把握し、管理者自身のストレス状態を把握することが責務になります。

 

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「ストレス」について考える② [7-マネジメント]

「ストレスケア」のための「ストレスチェック」は、現在、広く普及しているようです。


厚労省から、「労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度実施マニュアル」が示され、「職業性ストレス簡易調査票」まで例示され、その活用方法にまで細かく言及されています。これを基に、高ストレス者を抽出し、面接指導によって改善を図ることなど細かく示されています。

ここまで細かく決められると、そのまま受け入れて実施しているところも少なくなく、もはや「ストレスチェック」が一つの業務プロセスになっていて、毎年同じ設問のチェックに取り組んでいるところも多いと思います。

専門家が知恵を出して作ったものなのでしょうが、どうにも納得できないことが多いと思うのは私だけでしょうか?


何が納得できないかというと、労働者のストレス状況を「自記式」チェックを基に数値化して「高ストレス者」を抽出し対処するということだけが先行しているということです。


これって、「健康診断」と似ていませんか?

定期健診で異常がなければ「健康」、何か異常があれば、再検査を受けることになる。そこで、重大な病気が発見されれば、自己責任で治療を行う。例えば、劣悪な労働環境にあって健康被害がある時、健康診断で同じ職場で同様の疾患が多数見つかれば問題になるでしょうが、そうでなければ、企業責任はなかなか追及できない。そういう訴訟は後を絶ちません。

「ストレスチェック」も同様ではないかと思うのです。


今、障がい者相談支援センターにいて、日々の相談の半数近くは精神障害です。うつ病を発症し仕事ができなくなって引きこもり、収入が途絶えて、生活再建の相談というケースがかなりあります。うつ病発症の原因は様々ですが、若い相談者の多くは、仕事が原因というケースが多いように思います。中には、この「ストレスチェック」で、高ストレス者となり、産業医の面談で「勤務停止」と言われ、それがショックでうつ病になってしまったという事も聞きます。(家族からの話なので真偽を確かめたわけではありませんが)


何のための「ストレスチェック制度」なのか。

制度設計の根拠となっている「労働安全衛生法」の第1条(目的)には以下のように示されています。

「労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。」


さらに、「ストレスチェック制度」マニュアルには、「労働者のストレスの程度を把握し、労働者自身のストレスへの気付きを促すとともに、職場改善につなげ、働きやすい職場づくりを進めることによって、労働者がメンタルヘルス不調となることを未然に防止すること(一次予防)を主な目的とした」と記載されています。


残念ながら、その後に続く「基本的な考え方」では、ニュアンスが変わってきて、メンタルヘルスケアを「労働者自身のストレスへの気付き及び対処の支援並びに職場環境の改善を通じて、メンタルヘルス不調となることを未然に防止する「一次予防」、メンタルヘルス不調を早期に発見し、適切な対応を行う「二次予防」及びメンタルヘルス不調となった労働者の職場復帰を支援する「三次予防」に区分したうえで、「第1次予防」(労働者自身の気付きと対処支援)の強化のために、ストレスチェック制度を導入するとなってしまっています。そして、事業者(経営者)には、「メンタルヘルスケアの方針・計画・取り組み・評価・改善(PDCA)を進めることが望ましい」という表記で、経営者への義務化はあいまいにされているのです。


理論的に考えても、やはりこれは「健康診断」と同じです。

「ストレスチェック制度」を運用し、高ストレス者を発見し、産業医などの面接を通じ、「治療」や「勤務停止」という判断をあおぐところで、経営者の責任は免れてしまっているようです。「会社は守られても労働者は守られない」という構図になっているわけです。


これでは、根本的な問題解決にはつながらないでしょう。

利口な経営者であれば、コストを最小限に抑えることができる方法として、こぞってストレスチェック制度を導入するに違いありません。すでに、簡易チェックシートも示されているわけですから、人事部に指示して、マニュアルに沿って、年次でチェックを実施し、その結果を報告させることで経営責任を免れたつもりでいるに違いありません。


賢明な経営者は、この制度を活用し、その結果を「企業評価」「事業評価」と受け止め、ストレス低減のため、職場環境の改善や業務改善の方策を事業所ごとに指示し、その結果を報告させ、内部監査にチェックさせるという指示をするはずです。


話が少しずれてしまいましたので、戻します。

ストレスチェック制度では「職業性ストレス簡易調査票」が大きな役割を担っています。

57項目にわたって、自分に当てはまるものを記入するものです。

設問を一度は見た方、毎年見ているという方もいると思いますが、例えば、A-1)非常にたくさんの仕事をしなければならない。とか、A-6)勤務中はいつも仕事のことを考えていなければいけない とか、B-1)活気が沸いてくる B-4)怒りを感じる B-18)悲しいと感じる などかなり観念的な質問が多くなっています。

以前勤めていた生協でも同じようなシートチェックがありました。

どういう結果が出るのかと思いながら、ひどい評価になるにはどうしたらよいかなどと思いながら書いてみました。

内部監査室は私一人の部署でしたから、組織的にはたいした問題にはなりません。ひどい評価になるように記入すると、人事部から呼び出しがありました。専務と面談し、事の顛末を説明し、前述のような点を上申しました。専務も納得し、ストレスチェックの結果に関して、人事部長から各管理者に対して、業務改善報告書を出させる通達がなされ運用変更となりました。(不十分な点はありますが一歩前進しました)


ストレスチェックの項目内容もかなり問題はあると思いますが、専門家が知恵を絞って作られたものですから、評価する立場にはありません(かなり言いたいことはありますが)。

それよりも、「リスクマネジメント・内部統制システムの一つとして有効に活用すること」が重要なのだと言いたいのです。

せっかく運用されているものをどう活用するか。マネジメント改善につなげる事が肝要でしょう。

業務に不満や悩みがあるという職員がいるという事実を掴み、具体的に何が問題なのか、どこにストレスを生み出す原因があるのかを見つける事。個人の評価ではなく、職場の評価であるという受け止めをすることから始まるはずです。それが、リスクマネジメントに通じる道ですし、職員を守ることにつながるという考えをもっていただきたいのです。

そして、管理職の役割であるという姿勢を具体的に見せる事。

例えば、個別面談で業務改善提案を受ける場を作るとか、朝礼や終礼等で改善提案を受けるとか、様々な場面で、常に業務改善に取り組むことを事業所の風土にすることに、管理職には最も心を砕いていただきたい点だと考えます。


福祉の現場は、人間と人間が接するところです。職員に「ノーストレス」なんてありません。もしそういう人がいるなら、おそらく、その人自身がストレスの原因になっているのかもしれません。あるいは、利用者にストレスを与えているかもしれません。ストレスチェックの結果が良い人こそ、謙虚に自分を見つめなおしたほうが良いかもしれません。

 

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