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「間違っている」を考える [6-雑感・いろいろ]

或る会議での話。

Aさん:「〇〇病院のSW〇〇さんのことですが、福祉の専門ではないのに、専門外の事にまで入り込んで、トラブルになることがあって、困るんですよ。」

Bさん:「〇〇事業所の代表△△さんと交流があるようで、△△さんも、領域外の事も引き受けてしまわれるので困ります。御二人とも、間違っていますよね。」

Aさん:「そうそう。でも、それを間違っていますと指摘すると、攻撃しているようで、言えないこともあるんで、どうしたらいいんでしょう。」


ちょっとわかりづらい話かもしれませんが、同じようなことを、現場で時々耳にします。

会議での発言者のAさんは、長年、福祉分野におられる方で、知識も豊富ですし行動力もある。Bさんは、精神保健分野のエキスパートです。

この会話を聞いている私は、ずぶの素人。福祉分野も医療分野も何の経験も知識も持っていません。

具体的に何が起きているのかは、その前後の会話にあるのですが、それを書くと、かなり特定されてしまうので割愛させていただきます。


簡単に言うと、AさんやBさんの「福祉部門や精神保健部門の立場」から見ると、〇〇さんや△△さんがやっているのが「間違っている」というのです。でも、〇〇さんや△△さんにもおそらく「自分たちの立場(基準)」で仕事をしているわけで、〇〇さんや△△さんに言わせれば、AさんやBさんの方こそ「間違っている」と言うかもしれません。


この会話で、考えたいポイントは「何が正しくて何が間違っているのか」ではなく、「正誤を決めるのは何か」ということです。


これは、内部監査に携わっていた時、常に考えていた事と共通します。

「検査」と「監査」の違いということと通じる部分があります。

検査も監査も、同じ「査」の文字を使っています。これは、物に物差しを当てて計測する動きを表した漢字です。

違うのは、『検』と『監』。

『検』という字は、もの(木)を複数の人が見て同じ意見になる(つじつまが合う)ように見るという姿を現しています。

ですから、『検査』は、一つの共通する基準をもとに、評価(合否・正否の判定)をする事を示します。

一方、『監査』の『監』の文字は、盆に入った水(皿)を上から覗き込んで見る(臣)姿を現していて、「手本に写して、注意深く見る」ということになります。

決して、合否や正否を判断することが目的ではなく、目の前にある事実がどういうものかを見極めるということが目的なのです。

ですから、内部監査を行っている時、間違っているかどうかではなく、どうしてそのようなことが起きているのかを考えることこそ重要だと考えていました。


蛇足ですが、「行政監査」という言葉があります。

福祉部門など、行政の認可事業や補助金、委託事業などを対象に、当局が定期的に行うものです。私も過去に何度か立ち会うことがありました。ただ、残念ながら、「行政監査」は『監査』とは程遠いことが判りました。今は、どうか判りませんが、ほんの2年ほど前の「行政監査」に立ち会った時、書類の印鑑とか日付とか、綴じ方とか細部についてかなり厳しい指摘をされました。目の前に置かれた書類の山を「点検」して、不備を発見して、鬼の首でも捕ったかのように声高に指摘するのです。そのくせ、事業目標への進捗状況とか、補助金の有効性(コストパフォーマンス)とか、マネジメントレベルとか、そういう業務内容には一切触れない内容だったのを記憶しています。さらに、その監査を行うのは、行政当局が専任した監査委員で、マネジメントの一つも知らないような人なのです。(これ以上書くとまた自分の立場が危うくなりますので止めておきます)


さて、最初の会話に戻ります。

AさんもBさんも、〇〇さんや△△さんを「間違っている」と断じています。

でも、それは、AさんやBさんが使っている「物差し」を当てて判断しているに過ぎないと言えます。

〇〇さんや△△さんは、その物差しを持っていないのですから、「間違っている」と言われても、理由が判りません。

おそらく、〇〇さんや△△さんは自分の物差しをもとに動いているわけですから。


では、どうすれば良いのか。

今、私がいるところは、障がいのある人を支援するため、相談を受ける窓口機能や、他部門と連携し調整して行く役割を負っています。

最も重要な「ものさし」は、障がいのある人・当事者自身ではないでしょうか?

当事者にとって最良の支援のために、なにができるか。

そのために、福祉や医療、教育など暮らしに必要な社会資源が有効に機能できるよう、調整し連携できる関係作りをしていく。


さきのAさんやBさんのように、「間違っている」という批判をしたところで、問題は一切解決しませんし、むしろ、連携や協働を阻害するだけではないでしょうか。

批判をする前に、なぜ、そうなのかを相手の立場に立って考えることが重要でしょう。(と言いつつ、私も、AさんやBさんを批判しているわけですから同じ穴の狢になってしまっていますね。反省)

互いが持っている「物差し」(専門的立場に基づく基準やルール)を互いに擦り合わせて、物差しの違いを明確にしたうえで、「当事者」を中心においた、互いが理解できる「物差し」を使って、それぞれの立場でできることを見つけるまで話し合う事が大事でしょう。

共通しているのは、目の前の「当事者」を支援したいという思いなのですから、きっと協働できるはずです。


余談ですが・・・


ウクライナ紛争は一層深刻な状況に陥っています。

領土を守るため、より強力な兵器供与のため、ヨーロッパ各国も動き始めています。

力と力の衝突がさらに激化していく方向に向かっています。

その他、世界各地に紛争の種は尽きません。

さらに、今、アメリカや中国、北朝鮮など、紛争ではなく、大戦になりかねない状況にあるという見方もできます。

そんな中で、日本は軍備増強へ舵を切りました。「国民の命を守る、国益を守る」と言いつつ、国民を一層危険な状態へ近づけているとしか思えない状態にあります。

おそらく、政府・高官の方々が持っている「ものさし」と、庶民がもっている「ものさし」は全く別物なのではないでしょうか。

今の政府は、どういう「ものさし」を使っているのでしょう。

ひょっとしたら、裏側に、「Made in U.S.A since1945」の文字が刻印されているのではないんでしょうかね。

 

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