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能登半島地震とBCP① [7-マネジメント]

令和6年能登半島地震で被災された方々へ、こころよりお見舞い申し上げます。そして、皆様の安全と一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。


2024年1月1日16時10分、私は自宅にいて、スマホの緊急地震速報を聞き、慌てて屋外へ飛び出した。妻も動揺しながら屋外へ。駐車場の車が左右に大きく揺れている。見上げると電線と電柱が左右に揺さぶられていた。しばらく立ち上がることもできないほどの揺れが続いて、静かになってから、部屋に戻りNHKをつけた。能登半島を震源とした、最大震度7だった。私の住んでいるところは、震度4。

いや、あれで震度4だとすると、震度7なんてのは想像できないほど激しいものだったろうと改めて感じた。


お正月の特番もすべて、ニュースに変更され、絶えず「津波!危険!逃げて』と呼び掛けていた。被害の状況よりもまず人命優先。とにかく命を守るためにできることをという強い使命感を感じさせるアナウンスが続いていた。

新潟から福井までの沿岸地域には、多数の原子力発電所がある。稼働中に物は少ないとしても、あの東日本大震災の原発事故は他人事ではない。ニュースを見ながら、原発の事故だけは起きないでほしいと願っていた。

夜になり、徐々に能登地域の被害の状況が報道され始めたころ、不謹慎ながら、私の頭の中には、今、作成している「BCP」のことが浮かんできた。

そこから、考えたことを書いておきたいと思う。


初めに、BCPの前提となる「被害想定」のこと。

私の地域では、琵琶湖西岸断層帯を震源とする震度7強の地震被害を想定している。道路の寸断、インフラの破壊等、物的損傷を中心に、市の防災課がとりまとめたものだ。

だが、今回の能登半島地震の被害状況を見ると、想定が余りにも甘いのではないかと感じた。阪神淡路大震災や東日本大震災を見ても、地震発生直後には、被害状況が把握できていない。1日経ってからようやく身近な地域の被害の様子が見えてくる状態だ。これだけIT技術が進歩しても、実態を把握するのは難しい。

それまでの間は、どこでどういう被害が発生しているのか全く分からない状態にあると考える必要がある。

目の前の状況だけが頼りになるはず。市内の状況より、まずは、自分のいる場所がどうか。そして、その際には「最悪の状態」を想定すべきではないかと考えた。

事務所のある建物は、かろうじて倒壊は免れたものの、窓ガラスは破損し、棚などが倒れ、書類が散乱している状態。もちろん、電気・ガス・水道などのインフラは使用不能。通信手段も、有線電話は使用不能。携帯電話も通信状態は良くない(今回の能登地震でも携帯各社は繋がりにくい状態だった)。さらに、その復旧に関しては、見通しが立たない状態まで壊滅的な被害となっているに違いない。


そんな中で、何をすべきかを考えなければならない。


私の事業所は「相談支援センター」。直接、障がい者のケアをしているわけではないため、主な使命(ミッション)は、在宅の障がい者の安否確認である。計画相談事業所や通所事業所と繋がっていない方が対象になる。また、災害時の個別避難計画作成者(自力避難が困難・避難判断が困難な方や、医療的ケアを必要とされている方など)を対象とした安否確認や避難確認である。

当初の想定では、インターネット回線は使用可能であり、PCも充電分の使用は可能と設定されているため、対象者リストや手順などを確認できると考えていた。だが、それではおそらく機能しないかもしれない。「アナログ(紙ベース)」も予備として準備しておく必要がある。

スマホなどの電話回線が使用不能という場合、訪問などの手段で安否確認することも必要になる。こうした手順は、当初の被害想定いかんで大きく異なると思う。

また、私のいる「相談支援センター」は市の基幹センターとなっており、市内の障がい者福祉サービス関係者が加盟する協議会の事務局を担っている。

そのため、もう一つの使命(ミッション)として、市内の事業者間の連携支援がある。情報の収集と発信、支援の調整、関係機関(行政等)との調整といった機能も持たなければならない。それにつけても、通信手段の確保が極めて重要になる。現状では、その手立てを持ち合わせていない。

ただ、こうした状況の中でも、何らかの指針は必要なわけで、これからそれを整理していきたいと考えている。

おそらくその一つの突破口は、「ロードマップとタイムライン設定」ではないか。

発災から復旧・復興まで、いくつかのフェーズを設定し、そこに時間軸を入れておくこと。もちろん想定通りにはいかないことも多いとは思うが、拠り所にはなる。やみくもに動き回ることもあわてることもなくなる。それこそが、BCP作成の一番の効果ではないか。


今作成中のBCPには3つのフェーズを設定している。


第1フェーズは、発災から72時間。生存率が急激に下がると言われる時間を設定した。

さらにその中を3つに分け、①発災から30分(緊急避難・安全確保段階)②以降の24時間(安否確認作業(避難誘導も含む)③以降の72時間。(復旧準備作業)とした。


①発災から30分は、まず身の安全を確保すること、揺れが収まってから周囲の状況を把握し、職員の安否確認に徹する。そのうえで、BCP発動の判断ののちに、事務所が使用可能かどうか調査し判断する。今回、能登半島地震では、最初の大きな揺れ、さらに、大きな揺れがあったとの報道があった。

最初の揺れで、まずその場で頭を保護して身を守り、収まった段階で、すぐに屋外へ逃げることが肝要だろう。東日本大震災の際、私は名古屋にいたが、かなり大きな揺れを体験した。直感的に、机の下にもぐり、その後、非常階段を使って屋外に逃れた。

外に出るのはただ身を守るためだけではない。冷静になって、周囲の建物や電柱、道路などの様子を確認することができるからだ。同時に、自分のいる事務所の外観を確認し、破損状態を確認することができる。厳密な検査というわけにはいかないが、外観でひび割れとか傾きなどが確認されたら、安易に中に戻ることは止めるべきである。

建物の安全が目視で確認できたなら、事務所に戻って、飛散したものを片付けながら、次への準備を行う。

②発災から24時間後までは、優先ミッション遂行である。

私の事務所のミッションは、地域の障がい者の安否確認である。まず、通信手段を確保し、リストに基づいて安否確認をする。スマホなどの通話状況は絶望的かもしれない。有線電話が生きているなら活用する。最近の電話は電源を有するものが大半であるが、事務所には必ず1回線は停電時に使用できる電話があるはず。日ごろから、確認しておくことが必要だ。

利用者リストは、通常はPCデータで保管しているが、ネット回線が必要であり、不能ということもある。同じものを紙ベースで作成しておくことが日常の準備に求められる。また、安否確認の結果を記録する用紙も同様である。

同時に、基幹センターとして、市内の事業所・各所の状況把握を行う段階である。電話による安否確認作業と並行するため、制限の中で、行う必要がある。ここも一つ工夫が必要である。基幹センターから一方的に情報を得るだけでなく、圏域のサービス事業所から発信するというルール確認や運用訓練を平時に行っておくとよい。


③以降72時間。

安否確認が取れない対象者へ避難所訪問などによる確認作業と、復旧に向けて支援体制の準備作業となる。

ただ、能登半島地震の状況を見ると、果たして可能かどうか。通信手段も移動手段も失くしてしまった場合、何ができるか、再考する必要がある。


第2フェーズは、72時間以降1週間。避難生活の中における対応である。

私の事業所の専門職は、その期間に入ると、避難所の支援へ入ることになる。障がい者にとって、避難所にいることが極めて難しいケースもある。福祉避難所も人手が必要になる。人的支援へ回れる人員はそちらへ向かうと決めている。(基幹センターとして市内の状況を把握し連携支援を調整することも含む)


第3フェーズは、その後、事業回復まで。町の被害状況によっては、この期間が最も長くなるし、事業所として元に戻るかどうかも不明であるが、目標を設定することで次の動きが考えられるだろう。


今回、能登半島地震では、道路の破損や家屋倒壊、幹線道路の通行制限などで移動が極めて難しい状況が報道されている。こうした条件をどこまで加味して有効なプランにできるか。能登の推移を見守りながら、不謹慎だとは思うが、自らの事業所のBCPを検証していきたいと思っている。


ただ、私の住む湖西エリアは、原子力災害発生時の避難対象エリアになっているところがあり、大規模地震により福島原発のような事故が起これば、BCPなど役に立たない。万一の場合、避難情報が正しくキャッチできるか、不安は募る。

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