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情報とスキルと経験 [6-雑感・いろいろ]

先日、会議に向かう途中、若い職員と車の中で雑談しました。
春に異動してきた、確かまだ4年目くらいの職員の男性職員です。
それまでは、通所施設で働いていて、今の「相談センター」へ異動し、ようやく2か月が経過したところです。

今、先輩職員の指導の下で研修を続けているのですが、そろそろ本格的な相談業務も受け持つようです。


彼がボソッと不満めいた事を言いました。

「相談に乗ると、いろんなサービスや制度に精通していないとうまく対応できない。でも、それをすべて頭に入れるのはできなくて、正しい対応ができるか不安です。」

当たり前のことを彼は悩んでいました。


長い経験を持つ相談員は、長い経験の中で得た知識をベースに仕事をしています。でも、時々、古い知識のままで大きな失敗をする事があります。

社会福祉士などの資格を持つからといって全ての福祉制度に精通しているわけでもありませんし、地域によって制度の運用もまちまちで、最新の情報を手にしておくことは誰にとっても重要な事でしょう。

私自身も、この1年、知らない事ばかりに日々でしたし、その都度、調べて対応するのが精一杯でした。しかし、事務所にある「紙ベース」の情報が古かったり、間違っていたりでかなり苦労しました。また、書いてあることと運用実態が異なることもしばしばでした。訊く人によって答えも違ったりしていました。
こういう世界で真面目に仕事をしようと思うと、随分、悩んでしまうと思います。


実際、今、彼は、所長からマンツーマンで時間を取って、いろんな制度や相談業務のノウハウを教わっていますが、横で見ていると、意欲的に取り組んでいるようには見えません。

教わる方と教える方で、思考の違いが明らかに感じられます。

書類を見せられて、口頭で説明され、「覚えなさい」と言われても、彼にはそのこと自体にどんな意味があるのか判らないように感じているのではないかと思うのです。


彼曰く。

「判らない事があった時、スマホでサクサクと検索できると良いんですけどね。」

そう、今の若い世代は、そういうところは長けています。ちょっとググってすぐ使う。いちいち覚える(記憶する)ことにどれほどの意味があるのかという思考なのです。

「分厚い書類を開いて丹念に調べる」のが当たり前の昭和世代には「そんなんで大丈夫」と言われそうですが、私みたいな、昭和なおっさんでも、仕事ではほとんどGoogleを頼りにしていますから、彼の言い分はよく判ります。

今の若い世代に重要なのは、情報量・知識量ではないんです。それはネットで調べれば手に入る時代だから、それ以上の「何か」に価値観を持っているように思います。


学校教育の現場でも変化は大きくなっているのではないでしょうか?

昭和世代のような「覚えること」中心の教育から「考えること」中心の教育へ変化しているように思います。

考えることは、発想力です。

今ある価値観や理論に縛られず、もっと新しく有効で未来志向な発想を身につける事が求められているのではないか・・


彼との会話でいろんなことを考えてしまいました。


経験で得たスキルや知識は、なかなか次の世代には渡せないものです。また、その経験には偏りがあり、知識・情報もどんどん古くなっていくものです。常にアップデートを繰り返さないといけません。

おそらく、アップデートできなくなった時、「老害」と呼ばれるのではないか。

我が身を振り返り「老害」になりつつあるのではと反省です。


ちょうど今、私は、この事業所のWebサイトを作成しています。

そのWebサイトは、事業所の紹介PRはもちろんのこと、基幹センター機能の一つである「協議会事務局」としてのハブ機能を高めるため、様々な情報のデータベースを構築しようと作業をしています。


できるだけ多くのデータ(知識・情報)を取り込み、可能な限り、アップデートし、彼のような若い世代が検索して現場で使えるような情報データベースを作ろうと思います。

私自身が「老害」と言われるようになる前に、出来上がったものを引き継げるよう頑張りたいと思います。

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助成金と自治会の関係について [6-雑感・いろいろ]

先日、地域の「見守りネットワーク会議」なるものへ、町内の組長という立場で参加しました。

自治会の「福祉推進委員」のかたから、今年度の取り組みの説明を受け、計画と予算について意見を述べるために召集されたのです。
「見守りネットワーク」は、地域の独居の高齢者や障がい者の方が孤立しないよう、地域で見守り、時には助け合いつながりを深めることが趣旨だと思うのですが、当該の福祉推進委員の方は、「社協から補助金が出るので、今年も昨年同様に取り組みましょう。自治会も、社協へは5万円の募金を出しているし、貰わない手はない。」との発言で始まりました。

私も曲りなりに、今は、障がい者支援センターに席を置き、この助成金の仕組みや目的について理解はしていますが、地域の自治会では、そういう助成金の趣旨がほとんど伝わらず、お金がもらえるのならやらない手はないというかなり寂しい活動になっているようです。

更に、「この取り組みは、助成金交付にある条件を満たす必要があり、サロンとカフェの回数の人数を何としても達成できるよう、自治会の役員の方にも参加してもらいたい」とも・・。

いやいや、これは、地域の中で孤立化しがちな独居の高齢者や障がい者が、地域の方達の見守りの絆を深めるためのものなのだから、日常的に活発に活動している人が集まるんじゃなくて、高齢独居の方や障害のある方をまず訪問して、カフェやサロンに誘っていく活動から取り組むべきなんじゃないのか?

実のところ、私の町内では、そういう方々は、自治会に入っておられず、回覧板は回らないので、サロンやカフェがあったとしても、知らないので参加されない構造になっています。

何のための助成金なのか、自治会役員の自己満足のためにやるような活動に助成するのはどうかやめてもらいたい。そのために、助け合い募金が使われているのは嘆かわしい限りです。

助成する団体も、もう少し、活動の組み立て方とか、目標設定とか、進め方とかのプロセスをしっかり見極めるべきなのではないでしょうか。

哀しい事に、こういう薄っぺらい活動の在り方を、理屈で指摘すると、自治会では「浮いた存在」になってしまいますし、議論とはならず、変人扱いされてしまいます。

今回は、じっと黙って時間が過ぎるのを待つ事にしました。

家に戻って、冷静に考えてみると、こうした中身のない名前だけの活動でも、おそらく、福祉計画とかでは、市内に〇〇箇所のサロン活動やカフェが開かれ、住民の見守り活動は進んでいる等と評価されてしまうのでしょう。

そんな事ならば、もっと、自由な発想で、絆を強めようと頑張っている若者たちや小さな集団への助成を広げるよう、社協辺りも動いてもらいたいものです。既得権益の様に自治会行事としているようなところは排除して、もっと有効に使われるようにならないものでしょうか?


詳しくはこちらをご覧ください。[→]https://www.takashima-shakyo.or.jp/mimamori/pdf/episod.pdf


ちなみに、この見守りネットワークの対象者となるのは、独居や夫婦だけの高齢者世帯が中心に据えられているらしいのですが、推進している自治会の役員自身が、すでに後期高齢者が大半という状況になっているので、まあ、それはそれでよい事なのかもしれませんが・・・。

ただ、それは自治会の見守りネットワークではなく、当事者による自助活動の範疇ではないでしょうか。


こんな批判的な事をアップすると、あちこちから叩かれるかもしれませんが・・でも、そういう根本的なところから正していかないと、この町は良くなっていかないように思えてならないのです。

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研修会から思う事(虐待事例検討会にて) [6-雑感・いろいろ]

先日、「虐待事例」に関する研修会がありました。
詳細は出せませんが、虐待事例をもとに様々な視点で、考えようというものです。
原因や背景、対策について意見を交わしました。
その中でふと、内部監査を行っていた頃、何か似たような議論をしたような気になりました。他の人の意見を聞きながら、デジャブのような感覚が頭から離れなくなっていました。

そこで、ふと思いだしたのです。

例えば、福祉事業の場面で「虐待」を話題にする時、それは、起きてはならない事件・犯罪という出発点にあるという事なんですね。ですから、大きく言えば、業務中の不祥事・不正に間違いないわけです。

「不正」と言えば、内部監査部門に居る人なら確実に、例のトライアングルを思い浮かべるでしょう。

「動機」・「機会」・「正当性」の3条件が揃った時、不正発生の確率が高くなる。

虐待事案も、極めてその構図に近いのです。(福祉現場では、虐待を語る時、6層の欲求という考え方をしているようです。虐待は最下層にある「生理的欲求」が生み出すという事らしい。・・)

施設内で、障がい者(高齢施設なら入所高齢者)に対して虐待をしている状況は、圧倒的に「1対1」という状況。監視の目が届かない環境にあると聞きました。

そう、虐待の「機会」を作ってしまっている。

そして、その場面を見ると、虐待を受ける相手は日常的に問題行動を起こしていて、職員の大きなストレスになっているケースです。そう、「動機」を産みやすい人が対象となってしまう。

更に、「しつけ」とか「教育」とか「防衛」とかの言葉で、虐待を正当化する環境にあるのです。
見事に3条件が揃っていて、虐待が生まれてもおかしくないと客観的に捉えることができるわけです。
だからこそ、組織は、職員教育に力を入れるわけですが、その内容はどうでしょうか?

以前、不正に関する記述をしたことがありますが、もちろん、不正の大半は個人が起こすものです。おのず、教育では倫理面に力を入れることになり、一人一人の自覚を促す内容になりがちです。でも、それは、結局、不正防止を個人にゆだねている事であり、根本的に再発防止とはなりえません。
では、どういう教育が良いのか。
まず、不正(虐待行為)の3条件が揃っていないか、職場の環境を丁寧にチェックする事。構成員自ら、日常業務の中で、虐待を生み出しやすい状況を洗い出し、それを回避する策を考えることが近道だと思います。
ここでもやはり、リスクマネジメントの考え方が重要です。発生リスクの大きいものから一つづつ潰していく。

例えば、1対1になりやすい環境(トイレ介助・深夜帯の介護)を無くす対策。

日頃から職員にとってストレスになりがちな利用者を洗い出し、重点的に介護・介助の方法を統一しマニュアル化し訓練する。

「しつけ」「教育」「指導」等正当化する言葉を使用しない。

そして、これらのことが適切に運用されているか、管理者およびリスクマネジャーが監視・点検し、改善策を作る(PDCAサイクル)という仕組みを構築する事・・など。

ざっと考えてみても、これだけのプロセスがあります。

残念ながら、今回、私の職場ではそこまでの話し合いにはなりませんでした。旧来通り、一人一人が感想や意見を出し合い、ホワイトボードに意見をまとめ、整理するところで終わっています。

本当に、組織内から虐待を排除したいと考えているなら、より効率的効果的な研修方法を、管理者の皆さんは真剣に考えるべきです。


最後にひとつ。

こうした虐待事案が生まれると、その職場は委縮し、モチベーションは低下し、介護の質の低下へ繋がります。
そして、当該職員は、厳しい目に晒され、いずれは、退職を余儀なくされます。

それが教育を十分に受けていない若い職員なら、将来にわたって、福祉職から遠ざかることになり、人材不足に繋がるのです。

それを生み出したのは、そこにいる職員ではありません。ましてや、利用者ではありません。
そうした不正を生み出す環境を作ってしまった組織であり、経営者・管理者なのです。

そういう自覚を持ち、マネジメントにもっと力を入れて行ってもらいたいものだと思います。

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