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「ストレス」について考える① [7-マネジメント]

前回、虐待について考える時、「動機」「機会」「正当性」の不正のトライアングルを当てはめて考察しました。

その中で、「虐待行為の動機にストレスがある」というところに、ちょっと安易さを感じましたので、少し考察してみたいと思います。

「ストレス」という言葉は今や日常的に使用されるようになっていますが、ちょっと安易に使いすぎているように感じています。

もちろん、それが原因で、様々な問題が発生しているのは事実なのですが、何か問題事象の「言い訳」のような側面を感じるのは私だけでしょうか?

メンタルヘルスを維持するうえで、ストレスチェックを行い、何が要因となっているかを把握し、解消する対策を持つという手法は重要だと思います。ですが、ストレスチェックと称して行っている項目(専門職の方が長年の研究の成果として生み出したようですので否定するつもりはありませんが)がどうにもしっくりこないのです。


そもそも「ストレス」とは何なのでしょう。

ネットで調べると、こんな表記がありました。


「ストレスとは、簡単に言うと、心身に過剰な負荷がかかってゆがみが生じること(NHK健康チャンネルから転載)」


「ストレスという用語は、もともと物理学の分野で使われていたもので、物体の外側からかけられた圧力によって歪みが生じた状態を言います。ストレスを風船にたとえてみると、風船を指で押さえる力をストレッサーと言い、ストレッサーによって風船が歪んだ状態をストレス反応と言います。医学や心理学の領域では、こころや体にかかる外部からの刺激をストレッサーと言い、ストレッサーに適応しようとして、こころや体に生じたさまざまな反応をストレス反応と言います。(厚労省・こころの耳サイトから転載)」


私の解釈では、「外部からの刺激や圧力によって心身にゆがんだ状態を作ってしまうこと」をストレスと呼ぶのが正しいのかと考えました。

ということは、もともとの心身は外部から刺激がなければ健全な状態にあるということになります。

皆さんが「ストレスが溜まってる」と口にするとき、自分の心身にゆがみが生じていると認識しているでしょうか?


私は、古いパソコンを使っているので、時々、思うようにパソコンが動いてくれない(たいていはやり方が違っているのだが)ことがあり、つい、「ああ、ストレスだ!」と口にします。でも、心身にゆがみが生じているなどと思ったことはありません。「苛立ち」程度なんですよね。新しいパソコンを買えば解消されるはずなんです。

自分が思うようなスケジュールや段取りで作業が進まない時や、期待していたことと結果が大きく違うとき、上司から同じようなことを何度も指摘される時、そんな時に「ストレスだ」と言いたくなります。

でも、趣味のギターを弾いていて、難しいフレーズに手こずってなかなか上手く弾けない時には、ストレスとは思いません。上手くできなくて当たり前ですし、何度も練習することできっと弾けるようになると自分の中で信じているからです。(たいてい、途中で投げ出してしまうというのが実のところですが)


私は精神医学や心理学の専門家ではありませんから、学術的に論じるつもりはありません。

あくまで、マネジメントの観点から「ストレス」の正体について考えていこうと思います。


人間は生きている以上、外部からの刺激は避けられません。常に外部刺激に囲まれて活動することが、生きる事だと思います。

ですから、物理学的な定義の「ストレス」は絶えず発生しているのです。

暑さや寒さもストレスになります。そのために、洋服や冷暖房という環境を作り、極度の刺激を抑制し、ストレス反応を小さくします。予測される場合には対策を打ちます。

問題は、心や体のストレス反応を的確にとらえ、どう対処するか、あるいは予測して抑制する方法を取る事だと思います。


これって、リスクマネジメントと似ていませんか?

自分の心身に発生するストレス(リスク)を予見し、リスクを受容・低減・転嫁するか選択し、そのための対策(コントロール)を講じること。

受容することは難しいとして、低減する方法や転嫁する方法なら見つかるのではないでしょうか?

低減や転嫁するためには、まず、ストレスを生み出す外的要因を特定すること。

具体的な事例で考えてみましょう。

前回のブログで扱った「虐待事案」で言えば、虐待に至った職員Aさんは、現場でのB職員の反応がトリガーになり、ストレス状態に陥っていました。B職員の行動はトリガーにすぎません。それまでに、「時間通りに進めなければならない」という外部からの圧力、その場の責任者であるという圧力、こうしたことがストレス状態を高めたわけです。ですから、このケースでは、「時間通り進めなくても良い」「責任者を交代する」といった対策が考えられます。その時にできないとしても、そういう環境を常に作っておくことがマネジメントとして有効でしょう。「チームケア」がその一つでしょうし、「時間通り進めなければ工賃が確保できない」という条件を変更する(作業の見直し)ということもマネジメントとして必要でしょう。そして、新人B職員への教育(自ら考えて対応できるスキルを身に着けさせること)も対策の一つになるでしょう。

こうしたことを、管理者(マネジメントの責任者)が考えることが求められます。


回りくどく述べてきましたが、虐待事案は、重大リスクの一つです。発生の頻度と影響度を評価すれば、かなりハイリスクになるはずです。

だから、統制活動が必要になります。

職員規則とか職場規定、倫理規定などで「虐待を発生させない決め事」を明確にすることは最低限必要なことですが、それでは、なかなかコントロールできないのが、虐待案件です。

前回述べたように、虐待は発生のトライアングルを作らないことが必要です。動機と機会と正当性の条件が揃わないようにする。

今回、ストレスについて考えたのは、虐待などの不正行為の「動機」の大きな要素となるものをどうするかという思考について述べたかったからです。


話を整理します。

ストレスは外部刺激に対する心身の反応であり、そしてそれが長期間にわたり続くことで、心身のひずみ「ダメージ」を生むことでした。

では、業務におけるストレスというのはどういうものでしょうか?

業務プロセスの進捗を妨げるような事象が頻繁に、あるいは長期にわたって存在することで、強いストレスを生むとは言えないでしょうか?

また、為すべき業務プロセスに対して、意欲やスキルが不足していて、順調に行えない状態が続くことも強いストレスになるでしょう。

あるいは、そういう状態に対して、適切な指導や援助が受けられなかったり、理不尽に否定されたりすることも大きなストレスになるでしょう。(ハラスメントが代表例)

そして、これらのストレス発生状態は、個々人皆違っているということも捉えておかねばなりません。

管理者(マネジメント責任者)には、業務プロセスで発生する「ストレス要因」について認識すると同時に、部下となる職員一人一人のストレス状態を的確に把握することが求められると思います。

経営層は、現場や部門で、管理者がそう言うマネジメントができているかを把握し、管理者自身のストレス状態を把握することが責務になります。

 

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